『世界最悪の旅』とは?
(写真:A. チェリー=ガラード、戸井十月訳『世界最悪の旅』小学館、1994年、表紙)
みなさん、こんにちは。
(=´∀`)ノ
今回は「山の本、旅の本」です。
前回紹介した本はコチラ⤵
冒険や探検に興味がある人なら、誰しもが南極点到達を競ったアムンセンとスコットの名を知っているでしょう。
結果、ノルウェーのアムンセンはイギリスのスコットより先に極点に到達。
スコット隊は帰路遭難し、隊長のスコットを含む5名の極点隊は全員が死亡。
残されたスコットの手記は、彼らの壮絶な死の様子と、死に際して隊員達が示した冷静さ、責任感、情愛などが記され、全世界の人々に深く感動を与えました。
(スキーを履いたスコット。ガラード『世界最悪の旅』小学館より。この記事内の他の図、写真も同じ)
『世界最悪の旅』は、探検隊の一員でスコットの遺体捜索にもあたったガラードによる、この悲劇的な探検の記録です。
どういう旅だったのか?
1910年6月15日、イギリスを出港したスコット隊31名(探検隊員と船員)は、5ヶ月をかけて南極大陸に到着。
11月1日に 南極点へ向けて本隊は出発します。
スコットは海軍大佐、隊員は軍人や科学者など多彩で、8000人の志願者の中から選抜されました。
スコット隊の主たる動力源は馬(ポニー)です。
これに対し、アムンセンは犬のほうが優れていると判断し、犬ぞりを使用します。
スコット隊の行程は以下の通り。
ロス海の西端、ハットポイントと呼ばれる小さな岬に基地を設定し、ここからロス氷原を進みます。
南極横断山地をピアドモア氷河沿いに登り、そこから極地高原を横断するルートで、これは当時知られていた唯一のルートです。
(これに対しアムンセンはロス氷原の東側から上陸し、新ルートで極点を目指します)
地図ではピンときませんが、このルートは片道約1420km、往復では約2840km。
これは日本最北端の択捉島から最南端の沖ノ鳥島までの距離よりも長い。
その間には人家はおろか、森も川もなく、動物も植物も存在しないので一切の補給ができない。もちろん途中でエスケープすることも不可能。
なので、ルート上にいくつものデポが設定され、途中で補給できるようにしてありましたが、スコットたちは最後のデポの20km手前で力尽きました。
それがいかに間際の地点であったかは、地図を見れば分かります。
遭難の地は、一トンデポと名付けられたデポのすぐそばです。
さらに、基地が置かれたハットポイントも、これまでの道のりを考えれば、目と鼻の先と言ってもいい距離でした。
スコット隊の苦難
南極の地形は峻嶮です。
氷結した海のイメージで、ホットケーキのように平らな地形を想像していましたが、写真や記録を見ると全く違う。
写真の左下に人影が写っているので、氷壁の高さが推測できます。
実は南極大陸は最も平均標高の高い大陸で、その平均は2000mを越えます。彼らが通過した南極中央部の山塊には4000mを越える高峰も無数に存在していました。
南極最高峰のヴィンソン・マシフは標高4892mです。
ロス氷原(実は海に張った氷)を越えれば、いきなり3000mもの標高差がある氷河を登らなければならないのです。
この写真はピアドモア氷河で撮られた一枚ですが、行く手には縦横に伸びる氷の山並みが見えます。
スコットたちはこのような氷の山を越えていかなければならなかったのです。
後に、遭難の原因に馬を使ったことが指摘され、アムンセンのように犬ぞりを使うべきだったという人に対し、著者のガラードは「犬で氷河をどうやって上り下りしたらよいかを教えて欲しい」と反論しています。
しかし、馬は犬ほど寒さに強くなく、草食なので途中で餌を入手することはできません。(犬は死んだ仲間の肉を餌にできる)
結局、寒さと餌の欠乏によって、早くも氷河に差し掛かる前に全頭が放棄(射殺)されます。
これは大きな出来事でした。
まだ行程の3/4を残し、人力で荷を運ばなくてはならなくなったのです。
人力でソリを引いている写真です。
ソリを引く人は前かがみになって足を突っ張らせており、その苦しさが伺えます。
これで彼らは3000mを越える雪と氷の塊を登ったのでした。
最後に彼らを死に追いやったのは、帰路、氷原に下ってからの悪天候です。
日中でも-30℃、夜間では-40℃まで下がり、既に体力が落ちていた隊員たちは一気に衰弱していきます。
さらに3月20日からはブリザードが吹き始め、デポまであと20km以内の地点まで近づきながら進めなくなってしまう。
食料はあと2日分、燃料は1日分が残っているだけでしたが、ブリザードは29日にスコットが死を迎えるまで吹き続けました。
彼らの最期
スコットは、仲間たちがどのように死んだのかを書き残しています。
日誌によると、彼らは最期まで冷静で、互いに励まし合い、仲間を見捨てませんでした。
特に心打たれるのは、オーツという隊員の死です。
オーツはその2週間ほど前から凍傷がひどくなり、死の前日には「これ以上進めないので、寝袋に入れたまま置いて行って欲しい」と皆に頼んでいました。
食料と燃料は極端に不足しており、すこしでも早く次のデポにたどり着かなくては全滅の恐れがあります。
この時点でオーツは足と手が動かなくなっていて、彼がいれば前進のペースが遅れることは明らかでした。
しかし、その訴えは却下されます。
スコットはオーツの死をこう記しています。
「オーツは勇敢な男だった。最期は、次のようだった。
死の前夜、二度と目が覚めないようにと祈りながら彼は眠った。しかし、朝になると目覚めてしまった。
外ではブリザードが吹き荒れていた。
彼は『ちょっと外に出てくる』と言い残し、ブリザードの中へ消えて行った。
オーツは、皆の足手まといにならないようにと自ら命を絶ったのだ」
そしてスコットも、オーツの最期から約2週間後、ブリザードに閉じ込められたテントの中で死を迎えます。
彼は、残った3人のうち最後に息を引き取ります。
日誌は彼の頭の下に置かれ、その手は寝袋から出されて、終生の友であったウイルソンのほうに伸ばされていました。
スコットがいくつかの重大なミスをしたのは事実であり、批判的な評価があるのも致し方ないでしょう。
失敗の要因としては隊の組織編成から、スコット個人のリーダーシップや性格に至るまで、多くの指摘が存在します。
もちろん、これらの失敗を知ることは重要ですし、意義のあることです。
しかしこの本がぼくの心を打つのは、「未知のものを知りたい」、「誰も行ったことのない所へ行きたい」という人間の探求心・好奇心と冒険心の強さです。
この止めることのできない本能ゆえに、彼らは旅立ったのであり、死んだといえます。
愚かではありますが、その本能ゆえに人間は人間らしいのでしょう。
そして恐らく、旅をする人ならば誰しもが、彼らに多かれ少なかれ共感するのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また時々、「旅の本、山の本」を紹介しますね。
コチラもどうぞ⤵
ではまた。
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京都一周トレイルの楽しみ方(京都一周トレイルの旅番外編)
(写真:大文字山から京都を望む)
みなさん、こんにちは。
(^ω^)ノ
全4回にわたり、2018年12月29日~30日にかけて行った「京都一周トレイル」の旅について書いてきました。
旅の記事はコチラ⤵
今回は、この魅力あるトレイルの楽しみ方をご紹介してみます。
京都一周トレイルの特徴
京都一周トレイルには次のような特徴があります
➀ 市街地から近く、気に入った部分のみを歩くことができる。補給も容易。
(市街を囲む環状ルートというのも大きい)
② 標識や地図が充実していて、安心して歩くことができる。
③ 山歩き、渓谷歩き、寺社旧跡めぐりとバラエティに富む。
これらの特徴を備えたトレイルは、実は少ないのです。
市街地から近いと自然が少なかったりするし、その逆だとアクセスが悪かったり、初心者では不安になるような山奥だったりする。
通常は環状ルートではないから、終点ははるか遠くの場所となり、帰路に時間を要したり、途中でエスケープが困難だったりする。
すぐに街に降りることができ、かつ整備されているというのは安心。慣れていない人にとっては、やはり道迷いが一番の不安です。さらに、街で補給できるというのは安心。大抵のトレイルは自動販売機すら見当たらない。
これはコース上に整備されている標識です。
道の形状まで表現されていてわかりやすいし、さらに言えば、整備がまめに行われていて、最新の情報も手書きで書かれていたりする。
(写真では「崩落」と追記されています)
また、この標識番号は公式マップにも記載されていて、自分がどこにいるのかすぐにわかるようになっています。
地図上の「73-1」といった数字は全て、指導標識と対応しています。
さらに、一般的なトレイルはつまり山道ですから、基本的に山ばかりです。
山好きな人はそれでいいとしても、そうでない人にとっては楽しくないかもしれない。
「京都一周トレイル」は、このような問題点をある程度クリアしています。
なので、山歩きが初めて、もしくはあまり興味がない、という人でも楽しむことができるトレイルになってる。
もちろん、全長は80kmを越えますし、それなりの山地縦走路もありますから、慣れた人にとっても楽しめるトレイルですよ。
京都一周トレイルおすすめコース
こんな特徴を持つ京都一周トレイルですから、その人の関心や興味、体力に応じてコースを選ぶことが可能です。
いくつかコースを考えてみました。
➀ 眺望を楽しみたい!
山に登る途中は山科側が、山頂からは京都市街が一望!
② 歴史・史跡と山道に興味がある!
言わずと知れた、名所旧跡をたどる旅! 山道も適度で楽しい。
ケーブルカーで一気に比叡山に登り、のんびり下れば良いとこ取り。
京都の良いところが凝縮
鞍馬寺~薬王坂往復(約2km)
裏の京都といった雰囲気で神秘的
高雄寺社巡り&清滝(約4km)
清らかな渓谷と美しい寺社を合わせて堪能!
③ やっぱり山が好き
比叡山~横高山・永井山~大原の縦走(約17km)
歴史を感じながら、しっかり楽しめる縦走路。
きつければ逆行し比叡山からケーブルカーで下山すれば安心。
夜泣峠~盗人谷
山あり谷ありの冒険コース。アクセスは少し悪いけど。
④ 涼しいトレイルが大好き
清滝渓谷往復(約8km)
高雄を起・終点として。紅葉時期もいい!
⑤ 冒険してみたい
全ルート踏破(約80km)
一気に一周してみる?
見どころが多いから、遅れがちになるので気をつけて。
ということで、少しでも興味があれば、ぜひ挑戦してみてください。
京都観光の一日を、トレイルウォークにあてるのもいいかも。
とはいえ、やはり山歩き。基本的な装備(防寒具、ライト、携帯電話、電池、レインウェア、コンパスと地図、携行食と水など)は忘れないでね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これで「京都一周トレイルの旅」編は終了です。
ではまた。
(*´Д`)ノ バイバイ
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渓谷の旅そして嵐山(京都一周トレイルの旅 おわり)
(写真:清滝川沿いのトレイル)
みなさん、こんにちは。
(* ´ω`)ノ
京都一周トレイルの旅の最終回です。
前回は、薬王坂から鞍馬、盗人谷、沢ノ池を経て高尾に到着したところまでを書きました。
前回の旅はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
旅のルートはコチラ⤵
今回は、高雄から西明寺を経て清滝川の渓流沿いの道に入り、清滝、落合とたどって嵐山にゴールするまでの記録です。
高雄に到着したのが14時25分。
嵐山には17時までに到着したいと思いますが、どうなるでしょうか。
高雄から清滝までの道
高雄もまた、歴史ある寺社が集まる由緒ある土地です。
鳥獣戯画で名高い高山寺や、紅葉の名所として知られる神護寺、西明寺など、見どころがたっぷり。
少し西明寺に立ち寄ってみました。
やっぱり、お寺は心を落ち着かせる独特の雰囲気がありますね。
神護寺には立ち入らず参詣道の前を通過。
なので、正面に見える石段ではなく、川沿いの道を進みます。
いよいよ、渓流沿いの旅の始まり。
水がきれい!
川辺に沿って、進んでいきます。
途中には、美しい杉並木の道も。
どうですか、この道。
(^ω^) 歩いてみたいでしょ。
途中、潜没橋と呼ばれる橋がありました。
その名の通り、増水すると沈んでしまう橋です。
なかなか、変化のある道で楽しい!
清滝川沿いにも、台風の傷跡は残っています。
倒木でトンネルのようになっているところも。
流水などで洗われるためでしょうか、倒木は樹皮がはがれ白くなっています。
1時間ほど歩くと、一旦渓谷から出て、清滝の集落に到着。
ちょっと薄暗くなってきました。
時間は15時50分です。嵐山に17時到着は難しくなってきたかな。
落合までは、再び渓谷沿いを歩きます。
渓谷の最深部を行く
ここからの道はさらに深い渓谷に入っていきます。
まずは川辺へと下りましょう。
ということで、先ほど渡った橋の下へ。
そして再び渓谷歩きが始まります。
高雄~清滝間よりも、道と川の距離近い感じがしますね。
岩場も多いです。
今日は雪上がりなので、岩が濡れて結構滑りやすい。
渓谷が全体的に岩っぽくなってきました。
川幅が狭まり、両岸には巨石が目立つように。
岩の上を歩いていきます。
同じ京都一周でも、初日に旅した比叡山や横高山・永井山の縦走といった「山の京都」とは正反対の「川の京都」ですね。
いろいろな顔を持った魅力あるトレイルだなぁ。
やがて渓谷の幅が広くなり、河原が出現しました。
この橋を渡ると、落合です。
16時25分でした。
そして嵐山へ 旅の終わり
歩きごたえのある清滝渓谷の旅でした。
ここからは一路、嵐山に向かって下るだけ。
そう思って歩き出すと、なんだか急な登りが・・・
写真では伝わりにくいですが、なかなかの急坂です。
自動車も通りますが、エンジンをウンウン唸らせて登っていく。
しかもこの登りがかなり長い!
頂上の六丁峠まで、20分ぐらいかかってしまい、到着した時には暗くなり始めていました。
この先は山道はなく安心ですが、ここはあまり気持ちの良いところではありません。
実は、この付近で昔、非常に気味の悪い経験をしたことがあるのです。
(その話は、いずれまた)
とにかく、急いで街に降りましょう。
車が時々通りますが、ヘッドライトをつけています。
一目散に駆け下りて、ようやく集落に到着。16時55分でした。
このあたりは化野(あだしの)といって、昔は死者を野ざらしにしていた場所で、無縁仏も多かったらしい。
そのせいか、いつ訪れても独特の雰囲気があるような気がします。
ともあれ、これで一安心。
昔のいわれはともかく、街並みはとても美しいです。
ここを過ぎると、いよいよ嵐山の市街に入っていきます。
しかしこの頃には、すっかり夜の気配。
山の向こうに、日が沈んでいく・・・。
冬の日暮れは早い。
桂川の川辺に到着した時には真っ暗に。
まあ、これも風情のある風景なのですが。
川辺から渡月橋を望んでも、あまり良く見えなくて残念。
いよいよ、渡月橋をわたります。
17時45分でした。
ここから終点の阪急嵐山駅まではすぐそこ。
(= ´ ω`)ノ とうちゃくー!
2日間にわたった京都一周トレイルの旅もこれで終わり。
そしてこれで、2018年のトレイルの旅も終わりです。
2019年は、どんな旅が待っているでしょうか。
人生は楽しい!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、京都一周トレイルの楽しみ方をご紹介しますね。
行ってみたい!と思った人は読んでみて⤵
ではまた。
(* ´Д`)ノ バイバイ
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まるで水墨画のトレイル(京都一周トレイルの旅③)
(写真:鞍馬駅前の天狗像)
みなさん、こんにちは。
(^ω^)ノ
京都一周トレイルの旅の第3話です。
前回は、比叡山から京都・滋賀県境の尾根に伸びる回峰行道に沿って、横高山、永井山と縦走し、静原キャンプ場でツェルト泊したところまで書きました。
前回の旅はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
旅のルートはコチラ⤵
旅の2日目、2018年12月30日の行程は、静原キャンプ場を6時30分に出発し、嵐山に17時に到着する予定です。
水墨画のようなトレイル
昨夜、鍋やモチを食べ、ホットウイスキーで温まったおかげか、この寒さにもかかわらず熟睡しました。
準備を整え、再び里に下ります。
山の向こうから朝日が昇ってきました。
ほの暗い雪景色の中、金色の光が差し込んできて、息を呑む美しさ。
今日もまた、どんな景色に出会えるのかワクワクしてくる。
静原神社を過ぎると、次第に山に入っていきます。
一つ一つが絵になるというか、美しい。
そして、鞍馬へと向かう山道に入ります。
この坂を登りきると、薬王坂(やっこうざか)という下りに差し掛かります。
その昔、最澄が鞍馬から比叡山に帰る途中、この坂で薬王如来が姿を現したので、その名がついたとのこと。
朝の薬王坂は人気もなく静寂そのもの。
白い雪と、黒々とした木々や土とのコントラスト。
まるで水墨画の世界の中にいるよう。
本当に素晴らしいトレイルでした。
薬王坂を下ると、そこには鞍馬川沿いの集落が広がっていました。
このすぐ先に、鞍馬寺が。
これもまた、水墨画の世界から抜け出してきたようです。
京都はやはり、雪が似合いますね。
夜泣峠と盗人谷
鞍馬に入ると、一時的ですが降雪と風が強くなってきました。
ここからは2kmほど鞍馬街道という広い道路を通り、その後再びトレイルに入ります。
まずは夜泣峠という、少しいわくありげな名前の峠へ。
踏切をわたり、トレイルに入っていきます。
ここから夜泣峠までは、短いですがかなりの急登が続きました。
そして、40分ほど登り続け、9時50分に夜泣峠に到着。
ちょっと荒れた雰囲気がある峠です。
案内板によれば、平安時代前期、惟喬親王(これたかしんのう)と乳母がここで一夜を明かした時、地蔵に願をかけて夜泣を止めたことからこの名がついたとのこと。
しかし、子供でなくても、ここで一夜を過ごせば泣いちゃうかもね。
夜泣峠からは、尾根歩きが続きます。
この尾根線は南西方向に伸びていて、下るにつれ景色が一変します。
こんな感じに。
なんだか季節が変わったかのよう。
高度と方角が変わったとはいえ、なんだか不思議な変化でした。
ここを下ると、一旦集落のある平地に出ますが、すぐにまた深い森に入ります。
今度は「盗人谷(ぬすっとだに)」という谷間です。
これもまた、夜泣峠に負けず劣らずいわくありげな名前ですね。
谷間は、台風による倒木で埋め尽くされんばかりでした。
ホントにすさまじい被害です。
しかし、こんな大規模な倒木にもかかわらず、人が通れるようにコースが整備されていて、このトレイルに関わる人たちの思いを強く感じました。
例えば、こんなふうに、倒木に持ち手や足場がつけられています。
ここには迂回路が設定されています。
このような整備は盗人谷だけではなく、京都一周トレイルの全域で見られました。
本当に感謝です。
盗人谷から出るには、かなり急な登りとなります。
このあたりで気付いたんだけど、京都のトレイルは急坂が多いように感じる。
距離はないんだけど、直登・直降なので、長い旅になるとけっこう疲れるかも。
そして高雄へ
盗人谷を出た後は、時おり集落のある平地にも出ますが、5kmほど京都北山の尾根を縦走します。
雪が切れると、京都の街が望めます。
確かに、京都をぐるりと一周の旅だなぁ。
この尾根道は、これまでのトレイルとは違い、明るく開けた斜面が多い。
天気が良ければ、京都の街を眺めながら歩けるいい道でしょう。
倒木はやはり、多かったですが。
いくつかの峠を越えると、開けた場所に出ました。
沢ノ池です。
朝の光は金色ですが、昼の光は銀色に見えますね。
到着したのは13時30分。昼下がりの一番明るい時間でした。
沢ノ池を過ぎると、あとは高尾に向かって下るだけ。
川沿いの林道を進みます。
途中、またまた大規模な倒木がありました。
本当に痛々しい。
林道を下ること約30分、14時25分に高尾に到着しました。
ここで、山地を縦走する旅は終わり。
ここからは、清滝川沿いの渓谷の旅が始まります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、高雄から清滝川沿いに南下し、終点の嵐山まで到着するところを書きますね。
次回の旅はコチラ⤵行ってみたい!と思った人は読んでみて⤵
ではまた。
(^ω^)ノ バイバイ
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比叡山から修行の道へ(京都一周トレイルの旅②)
(写真:静原キャンプ場でのツェルト泊)
みなさん、こんにちは。
(= ´ω `)ノ
京都一周トレイルの旅の第2話です。
前回は、蹴上を出発して大文字山に登り、哲学の道を通って比叡山に登ったところまで書きました。
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
旅のルートはコチラ⤵
今回は、ケーブル比叡駅から京都・滋賀県境に伸びる尾根沿いに下り、横高山・永井山を経て静原キャンプ場で野営するところまで書きますね。
雪の延暦寺
ケーブルカー比叡駅に到着したのが、予定より1時間以上遅れた12時15分。
このままでは、明るいうちに山を出れるか怪しい
おまけに雲が出て日差しも乏しくなり、風も冷たくなってきた。
駅舎の中に入り、少し悩みます。
しかし、「寒い」以上の悪天は予想されず、時間の遅れは取り返せる程度のものだったので、このまま先に進むことに決定。
ここから延暦寺の入口までは、車が通れる道路が通じています。
途中、スキー場の跡がありました。
さらに下ってゆき、道路脇の川を渡ると、延暦寺への参道が現れます。
薄く積もる雪が、神域の厳かさを引き立てているよう。
石段を下りたところに「浄土院」がありました。
ここに12年籠もって、最澄に仕える修業があるそうです。
これは「にない堂(西塔)」と呼ばれる建物です。
両側の建物をつなぐ渡り廊下をくぐります。
すると眼下に、ひときわ巨大なお堂が見えてきました。
転法輪堂(釈迦堂)です。
延暦寺最古の建物で、この地域の中心的な堂宇とのこと。
雪のせいか、人影もほとんどなく、静寂に満ちている。
白と黒のコントラストが神秘的でした。
修行の道をゆく
転法輪堂を後にすると、ここから先は人気のない山道に変わります。
この道は回峰行道といって、修行のためのみち。
尾根ぞいに南北に延び、京都と滋賀の県境となっています。
だいぶ雪が深くなってきました。
天候の悪化はないのですが、弱いスノーバンドが周期的に訪れ、その時は風と降雪が強くなる。
かなり急な斜面に差し掛かりました。
どうやら最初のピーク、横高山の山頂が近づいてきたようです。
かなり急です。
どうやら、これは登山道から外れているな・・・
まあ、山頂が明瞭なのでこのまま頑張ります。
で、山頂に到着。14時10分でした。
グズグズしてはいられない、先を急ぎましょう。
しかしここからは通う人も少ないのか、足跡もまばらとなり、積雪も深い。
ひざ下ぐらいまで埋もれる箇所も。
かなり急に。
( ;´Д`) よいしょ、よいしょっ・・・
さらにさらに急になる・・・
これも修行の道、がんばろう!
( ;´Д`) よいしょっ!
おそらく、ここも本来の登山道からは外れていたのかもしれません。
ただし、尾根沿いの道で、かつ正確な方位が得られていたし、引き返すことも可能だったので、そのまま直登。
そして、20分ほど登り続け、ようやく永井山の山頂に到着しました。
残念ながら、山頂は全く展望がありませんでした。
だいぶ足も冷えてきます。
修行者も寒かっただろうなぁ・・・。
鍋とモチの夜
永井山は京都一周トレイルの最高標高点(794m)なので、ここから先は下りです。
よーし、ちょっと飛ばすぞ。
雪のトンネルみたいで楽しい。
かと思えば、落ち込んでいくような急坂。
急な下りは、一歩ごと雪に大きく足が沈んで疲れます。
1時間ほどかかって、ようやく谷底に到着しました。
なかなかタフな道でした。
ちょっとは修行になったかな。
とうとう大原の里に出ました。時刻は15時55分。
そう、♬京都大原三千院~ の歌で有名な大原です。
キャンプ場のある静原へは、さらに正面の山を越えなければいけません。
(* ´ Д`) ハアハア・・・
この先が本日最後の峠、江文峠(えぶみとうげ)です。
そして、とうとう、静原キャンプ場に到着。
時間は17時20分。
写真では明るく見えますが、実際にはかなり薄暗くなっていました。
キャンプ場と言っても、この時期は管理の人が常駐しておらず、無人。
使用の際は、事前に申請を出すことになります。
さて、ツェルトを張ったら、お待ちかねの夕食!
ホットウイスキーを飲みながら・・・
まずは、鍋っ!
(* ´ ∀ `) うまいっ!
お次は、モチっ!
(*´Д`) うーん!
すっかりお腹もいっぱいになり、身体も温まります。
酔いも回って、いい気持ち。
このイイ感じが冷めないうちに、ツェルトに戻り、寝袋に潜り込みました。
零下の夜でしたが、ぐっすり眠りましたよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、京都一周トレイル二日目の旅を書きますね。
次回の旅はコチラ⤵
行ってみたい!と思ったら読んでみて⤵ではまた。
(* ´ω`*)ノ バイバイ
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冬の京都を縦走するよ(京都一周トレイルの旅➀)
みなさん、あけましておめでとうございます。
(= ^ω^)ノ
「ロングトレイルの旅」ブログも3年目に入りますが、引き続きよろしくお願いします。
さて、今回から数回は「関東ふれあいの道」から離れ、2018年の暮れに「京都一周トレイル」を旅した件について書きますね。
「京都一周トレイル」とは京都市街を取り囲むようにコース設定された縦走路です。
りっぱな公式ガイドマップも売ってる。
一冊500円です。
写真もいっぱい入っているので観光案内としても使えそう。
今回、冬休みの帰省を活用して、このトレイルを旅しようと考えました。
ルートはこの通り。
東山の蹴上(けあげ)から出発し、反時計回りに嵐山まで行く計画です。
初日は「大」の送り火で有名な大文字山を越え、街に降りて哲学の道へ。
その後は比叡山を登り、京都と滋賀の県境となる山を縦走。
そこから西に山を下り、静原キャンプ場でツェルト泊。
翌日は鞍馬、貴船とたどり、そこから山地部に入ります。
最後は清滝川(きよたきがわ)沿いに落合まで行き、渡月橋を渡り嵐山駅へ。
完全な一周ではないですが、南側は山がなくルートが設定されていません。
このルートで約65km(コース外の移動も含む).
ちなみに、本当のルートは蹴上から南に約10kmの伏見桃山から始まり、嵐山の南に約10kmの桂まで伸びているので、だいたい80kmほどあります。
ということで、2018年12月29日~30日にかけ旅しました。
京都には雪がよく似あう
まだほの暗い6時45分、蹴上駅を出発。
昨日から強い寒波が日本全域を覆っていて、京都でも山間部は結構な積雪。市街地でもうっすらと積もっています。
((((;´Д`))) うー、寒い!
まずは、「ねじりマンボ」と呼ばれるレンガのトンネルをくぐり、ルートに入ります。
確かに、レンガがねじれるように積まれていて、めまいがしそう。
このトンネルは明治時代に作られたものらしいです。
少し歩くと、日向大神宮という神社に出ます。
ここが大文字山への登山口。
雪の白さに鳥居の赤が鮮やか。やはり京都には雪が似合いますね。
山道に入ると、倒木の多さが目につきます。
どうやら、最大瞬間風速58.1mを記録し、今世紀最強とされる台風21号(2018.9.4)の影響らしい。
とはいえ、山道は朝日を浴びて惚れ惚れするほどの美しさ。
薄い白雪と常緑樹の緑が作るトンネルに青空。
木々の間からは、時おり京都の街が望めます。
8時40分に大文字山山頂に到着。
( ^Д^)ノ 京都市街が一望!
雪の山頂からの京都も、これもまたよく似合う!
空気は澄んでいて、大阪方面までハッキリです。
あべのハルカスも見えましたよ。
鹿ケ谷から哲学の道へ
大文字山からは、平家打倒の陰謀が練られた「鹿ケ谷」へと下ります。
ここは北斜面のため、日差しもなく、雪も深い。
倒木もすごいです。
もとの道がわからないくらい。
結構な急斜面を下ります。
谷底へと下る中腹に、「俊寛僧都(しゅんかんそうず)忠誠の碑」という石碑が建っていました。
鹿ケ谷に山荘を持っており、そこで平家打倒の密談を行っていたところ、密告されてしまい、鬼界が島(鹿児島県)へと流されてしまう。
さらには一緒に流された2人は許されて京に戻れたのに、俊寛は一人許されず、絶望して自害してしまったのでした。
さらに下っていくと、街に出ます。
振り返ると、鹿ケ谷の森がすぐそこに望めます。
京都の魅力の一つは、このように街と山が近いところでしよう。
たった15分ほどで、都会から深山風のトレイルを歩くことができる。
これはなかなか、他の都市にはない魅力だと思います。
ほどなく、「哲学の道」に出ました。
「哲学の道」とは、京都大学の哲学者である西田幾多郎らがよく散策した、琵琶湖からの水路に沿った約1.5kmの小道で、「日本の道100選」にも選ばれている名所です。
この日は人通りも少なく、溶けた雪が敷石に輝いて情緒がありました。
比叡山を目指す山道
哲学の道を経て、しばらく市街地を歩いた後、再び山道へ。
時間は9時50分でした。
まずは標高差約700mを登り、ケーブル比叡駅を目指します。
登るにつれて、再び雪が多くなってきます。
古くからの信仰の山らしく、途中いくつもの祠がありました。
ちなみにこれは、カメラが斜めなのではなく、石像が傾いています。
中腹あたりには、鳥居が建てられていました。
ここから先は、比叡へと続く奥深い山道です。
凍えるような沢を越え、
再び登り返し、街を見下ろす尾根を渡っていきます。
ここにも、台風の被害が。
「森の大虐殺」と言ってもいいような大規模な倒木です。
改めて台風の被害の大きさを実感しました。
ここから先は、山頂前の急登が続きます。
白い息を吐きながら登っていくと、前方に建物が見えてきました。
ようやくケーブルカー比叡駅に到着。12時15分でした。
ちなみに山頂はケーブルカー駅より少し離れたところになります。
京都市街の展望。
少し雲が出てきましたね。
風も吹き始め、体感温度も下がってきます。
計画では11時前に到着する予定だったのですが、写真を撮ったりしているうちに1時間以上も遅れてしまいました。
このままでは、山を下りる前に日没になりそう。
ここから先は、あまり人の立ち入らないような山地となります。
引き返すならこの地点しかありませんが、さて、どうしようか。
この続きは、次回に。
次回のお話はコチラ⤵
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
(^ω^)ノ バイバイ
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時の流れと鉄道ぶんか村
みなさん、こんにちは。
(*´Д`)ノ
前回は、西松井田駅から出発し、横川駅までの旅の後半部分を書きました。
前回の記事はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
この旅は「碓氷峠鉄道文化むら」が大きな見どころでした。
なので、今回はそこだけを特集してご紹介しますね。
碓氷峠鉄道文化むらは、横川駅のすぐそばにある鉄道テーマパークです。
かつて横川駅は、碓氷峠を越えて関東と信越を結ぶ交通の要衝でした。
しかし、北陸新幹線の開通に伴って軽井沢―横川の区間が廃止されたために、終着駅になってしまったのです。
鉄道文化村では、碓氷峠越えに活躍した列車などが展示されていて、往時の繁栄をしのぶことができます。
鉄道ぶんか村に入る!
ぶんか村の外から、すでに居並ぶ列車たちが姿を見せています。
鉄道マニアではないけれど、乗り物が並んでいると男の子の血がさわぎます。
はやる気持ちを押さえ、ゲートに急ぐ。
ゲートの脇には、こんな標示がありました。
「アプトの道 ウォーキングトレイル」
どうやら、廃線になった線路跡をたどるトレイルらしい。
いつか行ってみよう!
ここがゲートです。
ゲートをくぐると、子供の遊具の向こうに、格納庫らしい建物がみえる。
どうやらあそこが、施設の中心部らしい。
格納庫の前には、かつて碓氷峠を越えて走っていた「あさま」が展示されていて、その前にアプト式線路が引かれています。
線路の真ん中に歯状のギザギザがついていて、これが列車の下にある歯車とかみ合い、急登を登ることができます。
碓氷峠は勾配が急なので、このアプト式が採用されていたのでした。
格納庫の中へ
格納庫の中には、機関車が置いてありました。
これが、客車を引いて碓氷峠を登ったのです。
この装飾のない外見、いかにも「力持ち」って感じ。
運転席も、無骨です。
冬はきっと、寒かっただろうなぁ。
いろんな標識やマークが置いてありました。
どれも、なかなか味がありますね。
個人的には「はくたか」のヘタウマ感が好き。
これも面白かった。
国鉄からJRに変わった一年目の標識です。
何とも憎めないこの顔!
このマークを見れば、誰もが旅に出たくなると思う。
デザインも秀逸だし、車名の「日本海」もいいなぁ・・・。
野外展示も楽しい!
お次はお待ちかねの野外展示エリアです。
まずはSLが、ドーン!
男の子は誰しも、鉄の塊に憧れるものです。
やっぱりこの重々しさ、迷路のような配管、複雑な部品類。
いかにも「機械」ってところが、何とも言えない!
重々しさでは、除雪車も負けていません。
まるで装甲車の風格ですね。
左側の列車は、最後尾なんでしょうか。
デッキがついてます。
何でこういうデッキを今ではつけないんだろう。
これがあるとないでは、旅情が全く違うと思うんだけど。
こういうのも、すっかりなくなってしまったなぁ。
こんな列車に乗って、ビールを飲みながら旅してみたい。
子供がバタバタ走り回るのを聞きながら、
隣に座ったおじさんと、つまみを交換したりして。
そういえば、昔のフェリーも3等は座敷形式だったなぁ。
こんなことを考えながら、何度も列車の周りや内部をウロウロしているうちに、帰る時間になってしまいました。
その時、本当に驚きだったのですが、もう15年以上も会っていない友人と、この場所で出会ったのです。
彼はなんと、お孫さんを連れていました。
ぼくより10歳近く年上なので、決して不思議ではないのですが、流れた年月のギャップに戸惑いを隠せません。
それは向こうも同じだったようです。
「お互い歳を取ったねぇ~」と、再会を喜び合いました。
人づきあいが悪く、とんがっていた彼は、優しいおじいちゃんとなり、
仕事人間だったぼくは、関東を一周している。
人間って、わからないものですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回はいよいよ妙義を越える旅です。
ではまた。
(= ´ ω `)ノ バイバイ
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