三浦半島縦走の旅➀ 森戸川ジャングルトレイル
(写真:森戸川に沿うトレイル)
どうぞ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
(^ω^)ノ
ブログ本編の旅は、いよいよ群馬県境を越え埼玉へ入ったところまで進みましたが、今回はちょっと寄り道して、違う旅の話です。
関東ふれあいの道の旅はコチラ⤵
2019年の5月4日に、「三浦半島縦断の旅」をしました。
ルートはこちら。
京急新逗子駅を出発し、二子山、大楠山、武山、三浦富士と、三浦半島の背骨に連なる低山を縦走し、海までの旅。
定められたハイキングコースがあるわけではなく、自分で勝手に選定したルートです。
前日には図書館に行って、三浦半島の地図をしっかり収集してきました。
距離はあまり良くわかりません。
だいたい30~40kmのあいだぐらいかな。
罠にかかってルート変更
ということで、2019年5月4日、7時20分京急新逗子駅を出発
駅前のコンビニで、今日のお昼ごはんにするパンを買い、出発です。
まずは国道134号線沿いに南へ。
桜山トンネルをくぐります。
トンネルを抜けると、東に進路を変え、住宅地を抜けます。
目の前に、これから旅する稜線が見えてきます。
一番手前に見えるのが、阿部倉山。その奥が二子山でしょう。
地図を見ながら、阿部倉山の取り付きに到着。
この時、7時50分でした。
順調、順調。
しかし、少し奥に入ると、全く道はなく、竹やぶが続きます。
足元にはイノシシの罠がいっぱい。
何とぼく自身がイノシシ罠にかかってしまう。
歯のない罠でよかった。
これ以上進むと罠を壊してしまう恐れもあり、このルートから二子山を目指すのは断念します。
地図を見ると、阿部倉山~二子山の南を巻くように森戸川という川があり、この方向から登れるようです。
ちょっと遠回りになりますが、ルート変更を決心。8時10分でした。
森戸川ジャングルトレイル
阿部倉山を下り、再び市街地に出て東に進みます。
住宅地の脇を森戸川が流れている。
こんな調子なら、どんどん進めそうですが・・・
期待もむなしく、すぐに山の入り口に到着。
なんだか物々しい入り口ですが、登山道になっているようです。
中には、川沿いにうっそうと繁った森がありました。
細い流れを何度も跨ぎながら、道は奥へと続いています。
やがて、ほんの20分前までは、住宅地とは思えないような雰囲気に。
最初は杉が多めの人工林だったのですが、やがて足元はシダ植物で覆われ、つる性の樹木が多くなってきました。
まるでジャングルのよう。
さらに密林は続きます。
登山道の入り口から30分ほど歩くと、とうとう二子山へと登る分岐点に到着。
どうやら、道は川を渡った先のよう。
ワクワクしながら、向こう岸へ。
さらにジャングルが続きます。
そろそろ登りになるのかと思いきや、道は逆に下って川へ。
道ばたに案内板が落ちている。
なんだか、打ち捨てられているようで疑わしいのですが、とりあえず川をさかのぼる方向を指している。
どうやら、このまま川床を歩くようです。
アマゾン川の探検映像で、こんな場所を探検隊が歩いていた記憶が。
本当にこの道で正しいのか?
そう疑いながら進んでいくと、どうもこれ以上進めないような感じに。
対岸を見ると、何となく登り口があったのでそちらを登る。
登るとすぐに、また川へと降りる。
向こう岸に登り口を発見
どうやら道は正しかったようです。
滑りやすい川沿いの崖道を進む。
ここで沢歩きからは離れますが、まだまだジャングルは続きます。
しかし、東京から1時間少々で、こんな探検ができるのは驚き。
ルートを変更したおかげで、結果的には素晴らしいトレイルを発見できました。
やがて道は明瞭な登りへと変わっていきます。
どうやら二子山は近い!
二子山から海を見る
登るにつれ、徐々に森が明るくなってきます。
きっと、稜線はもう近い。
低山とはいえ、なかなかダイナミックな変化。
森戸川沿いのジャングルトレイルは名残惜しいけれど、先へと進みます。
9時ちょうどに、二子山と乳頭山をつなぐ尾根に出ました。
二子山は左、乳頭山は右。
まずは二子山へ。
ここから二子山までは、整備された登山道が続く。
のんびりと歩いて登ります。
そして、程なく二子山の山頂に到着。
9時35分でした。
簡素な展望台が置かれています。
登ってみよう。
海が見えます。
八景島方向でしょうか、海岸に白い三角屋根が見える。
その向こうに広がるのは、横浜の港湾地帯です。
誰もいない山から見る、初夏の海は静かで、なんだか眠っているようでした。
さて、三浦半島縦走の旅はまだ始まったばかり。
次回は、乳頭山から畠山と続く尾根下りの旅のことを書きますね。
次回の旅はコチラ⤵
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた。
(*´ω`)ノ バイバイ
どうぞ読者になって下さい⤵
トンネルは怖い・・・だけど
どうか読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
(/ω\) キャー
今回は、ふれあいの道の旅はちょっとお休み。
番外編です。
旅をしていると、いろんな道に出会いますが、中には苦手な道も・・・
実を言うと、ぼくはトンネルが苦手です。
以前、トンネルですごく怖い思いをしたというのもあり・・・
(いつかお話しますね・・・いつか)
入口でためらう
トンネルで一番勇気のいる場所は?
それはやはり、入口でしょう。
できれば入りたくない!
でも、入らなければ旅が続けられない・・・
この葛藤・・・・
微かな明かりを心の支えに、闇の中に突入です。
(;´・ω・) 遠い・・・
それでも、出口の明かりが見えていれば、まだ安心。
中が曲がっていたり、長すぎると、先が真っ暗。
そんなトンネルは、結構あります。
寂れた漁村にも。
もちろん、寂れた山中にも、
時には2つ並んでいたりする。
うっそうとした竹やぶの中にも。
それは突然現れる。
いい年をした大人でも、ビクリ! となります。
そして闇の中へ
ええい、行くぞっ!
ためらっていても、仕方がない!
と、意を決して、トンネルに飛び込みます。
するとそこはもう異世界。
昼の明るさが突然奪われる、あの「違う世界」に入った感じ。
遠いっ!・・・
そして、暗いっ!・・・
一秒でも早く出たいのに、なぜか近づかない出口の明かり。
100m走並みのスピードで、走ることも。
もう長すぎて、なんだか分からないのもある。
(;´Д`) あと1kmって何・・・
トンネルの中って、空気が違うんですよね。
冷たいだけじゃなく、なんか重い。
これはなぜなんでしょう?
独特の味、手掘りトンネル
トンネルはどれも苦手ですが、中でも手掘りトンネルは独特の味が。
巨大な生き物の体内に入ったような気がします。
これは短いですが、すごく個性がありました。
千葉県は、トンネルがとても多く、その大半は手堀りでした。
これも、
なんだか、タイムトンネルみたい。
こんな、明るくて個性のあるトンネルなら、抜けるのも楽しいのですが。
これは、いちばん苦手だったなあ・・・
千葉県、行川アイランドの近く、鵜原理想郷へとつながるトンネルです。
手掘りなうえ、腰を屈めなければ通れないほど狭い。
さらに長い。
本能的に、暗闇の中で窮屈な姿勢をとっていると、危機感を覚えます。
自由に動けないから、何かが起こった時にマズイと身体が感じるのでしょう。
しかし、ここを通らなければ鵜原理想郷へは行けないのです。
まさに、問答無用の試練。
ここを通ったのは、もう夕刻近くて人気もなく、ずいぶん心細かった記憶があります。
その時の旅はコチラ⤵
トンネルを抜ければそこは
しかし、トンネルを抜ければ、そこには新たな世界が広がっています。
たとえば、県境のトンネル。
ここを越えれば、栃木が終わり、群馬に入る!
これはまさに、新たな扉を開くトンネル。
喜び勇んで入ります。
トンネルを抜ければそこに、何かが待ってる。
なんだろう、このワクワク感。
この先は、何があるんだろう?
もしかすると、見たこともない景色が、待ってるのかもしれない。
そう思うと、旅を続ける喜びが沸いてきます。
だってほら、トンネルの向こうには、緑があんなにも・・・
この先に何があるんだろう?
それを知りたい!
旅を続ける原動力は、そんな好奇心です。
トンネルは怖い、だけど、それを抜ければ何かがある。
新しい景色を、最もドラマチックな形で見せてくれる。
それもまた、トンネルの醍醐味かもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
(*´ω`*)ノ バイバイ
よければ読者に!⤵
さよなら群馬 三波石峡を渡って
(写真:「三波石峡のみち」終点の登仙橋)
よければ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
(= ^ω^)ノ
埼玉県境を目指す旅の最終回です。
前回は、群馬・埼玉県境最深部の渓谷を抜け、神流(かんな)湖を望むところまで到達しました。
前回の旅はコチラ⤵
今回は、とうとう県境まで到達!
詳細図はコチラ⤵
保美濃山バス停から、群馬最後のルート「三波石峡のみち」に入り、県境の登仙峡バス停までの約5kmの旅です。
神流湖に沿って
石神峠から8kmにわたって続くスーパー林道を下り、ようやく見えた神流湖
湖の真ん中が県境。
つまり、向かいに見える山々は埼玉・秩父の山並み。
もう矢も楯もたまらず、一気に林道を下り降りました。
そして、「渓谷を下るみち」の終点、保美濃山バス停に到着。
時刻は15時10分でした。
いやー、このルートはかなりきつかった!
とにかく、前半の渓流沿いの道がかなりタフなうえ、その後に続く林道もまた長く、肉体的にも精神的にもかなり疲れが・・・。
ただ、幸いなことに、次の「三波石峡のみち」は僅か5km。
この程度なら何とか頑張れるでしょう。
ただし、終点の登仙峡バス停は、15時台のバスを逃すと、次は18時過ぎの便しかない。
(`・ω・´) 急ごう!
少し焦って、目の前に伸びる湖沿いの道を進みます。
ハアハア・・・
しかし、進むにつれ、何かが違うことに気が付きました。
地図ではもっと、湖のそばを道が走っているはず。
なのに、どんどん湖から遠ざかっていく。
(;゚Д゚) 間違えた!
焦っていたので、地図で次のルートをよく確認せずに出発してしまいました。
何という失敗・・・
バス停まで戻り、もう一度道を探します。
すると、バス通りの道の脇から、湖方向へ下る道が。
なぜこんな道を見落としていたんだろう。
一旦、ルートとは逆方向に下っていくので、最初から念頭にありませんでした。
ちなみに、石神峠から下ってきた林道の出口は正面に見える三叉路で、バス停はこの写真の後方50mくらいの位置にあります。
ともあれ、この段階ですでに20分ほど失ったので、15時台のバスには間に合わないことが確定してしまいました
といっても、やはり明るいうちにはバス停に到着しておきたい。
急いで坂を下ります。
途中、草が通せんぼをするように伸びていました。
これはちょっと面白かった。
湖畔に沿って道が続いているのがわかります。
やはり、この道が正しい道です。
よーし、行こう!
さらに道は続いています。
船が打ち捨てられていました。
「コバヤシ号」
ストレートすぎる名前が、なんだか哀愁を誘います。
釣り場でしょうか。右手になにやら施設が見えました。
こんな感じで行ければ、案外すぐに登仙峡バス停まで到着できるかもしれません。
と思っていたら、道は湖を離れ、登りに変わっていきます。
そしてトンネルに出ました。
トンネルを進めば、下久保ダムを経由せず三波石峡のほうへ抜けられるようですが。
しかし正式なルートは湖沿いに下久保ダム方向。
トンネルには向かわず、右へと進みます。
10分ほど行くと、下久保ダムが見えてきました。
ここで16時ちょうど。
これなら、明るいうちにはバス停に到着できるでしょう。
県境を越える!
群馬・埼玉の県境は、神流湖の真ん中にひかれている。
つまり、神流湖に横たわる下久保ダムの堤の上に、県境があるのです。
堤の上には、立派な道路が伸びていました。
さあ、いよいよ県境だ!
堤の上から、群馬側を振り返ります。
湖の奥の山、その中腹を横切って、道が伸びているのがわかります。
あれは恐らく、ついさっき下ってきたスーパー林道でしょう。
いよいよ群馬ともお別れです。
そして、ついに・・・
\(*´Д`) / 県境っ!
本物の県境です!
群馬に入って1年4ヶ月、とうとう埼玉に到達したんです!
真夏のわたらせ渓谷では、川に飛び込み、
真冬の赤城山では、雪の中で焚き火をし、
伊香保では温泉に入り、
榛名の尾根をわたり、
妙義の奇岩を仰ぎ見、
県境部の秘境を越えて・・・
ぼくはこの足で、群馬を歩き切った!
なんだか熱いものが込み上げてきて、少し涙が出そうになりました。
さよなら群馬
さて、本当であれば、このまま堤を埼玉側へと進んでいくのですが。
この道をまっすぐです。
しかし、この先、三波石峡へと下った後、通行止めになっている個所があるとの情報が掲示されてました。
そこには、先ほどのトンネルを抜け、そこから三波石峡へと下る迂回経路を使用するようにと書かれてあったのです。
ただ、ぼくはどうしても正規ルートの下久保ダム上で県境を越えたかったので、敢えてここまで来たのでした。
だけど、通行止めなら仕方ありません。
ふたたびトンネルまで戻ります。
そして、三波石峡へと到着。
先ほど越えた県境のダム堤が、はるか上に。
渓谷は大小の石で溢れていますが、これらは三波石(さんばせき)と呼ばれ、古くから珍重された石材です。
もちろん三波石峡の名は、この貴重な石の名にちなみます。
峡谷に架かる橋の上から見ると、緑っぽい巨石がゴロゴロしているのが分かる。
これが三波石です。
この渓谷には、その形状から、かめ石、ふうふ石、よろい石、ぶどう石などの面白い名前を付けられた48もの奇岩が転がっており、三波四十八石と呼ばれているそうです。
さて、そろそろ終点の登仙峡バス停まで向かいましょう。
川沿いの舗装道を進んでいきます。
ほどなく、大きな赤い橋が見えてきました。
どうやらあれが、登仙橋。
その近くに、登仙峡バス停があるはず。
橋には、大きく「埼玉県」との標識が。
バス停は、この橋の向こう。
つまり、川を渡って埼玉側になります。
さあ、もう一度県境を越えよう。
そして、これで本当にお別れです、群馬県。
ダム上の越境とは違い、今度は寂しさを感じます。
橋を渡り、振り返ると、「群馬県」の標識が。
さよなら、群馬!
一緒に旅した1年4ヶ月、どうもありがとう!
絶対に忘れないよ!
やがて日は暮れ、橋は闇に包まれていきます。
橋は静かにたたずんでいましたが、何となく、ぼくを見ているような気がします。
ぼくは、頭の中で旅の記憶をたどり、バスが来るまで橋にもたれていました。
そうすることで、楽しかった群馬の旅の思い出を、分かち合えるような気がしたのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回からはいよいよ、埼玉編の開始です!
次回の旅はコチラ⤵
それでは、また。
よければ読者になって下さい⤵
見えた! 県境、神流湖
(写真:「渓流を下るみち」から望む神流湖)
どうぞ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
(^ω^)ノ
埼玉県境を目指す旅の続きです。
前回は、上鹿島バス停から、温石峠を越える連結区間を経て、「渓流を下るみち」の起点となる妹ヶ谷バス停に到着したところまでを書きました。
前回の旅はコチラ⤵
ちょっと赤面しちゃうような石像もありましたね。
まだ見ていない人はぜひ、一見の価値ありです。
今回は、「渓流を下るみち」に入り、いよいよ群馬と埼玉の県境に横たわる神流(かんな)湖を望みます。
妹ヶ谷不動尊から石神峠をくだって保美濃山バス停までの旅のことを書きますね。
ルートの細部はコチラ⤵
このルートはだいたい13km少々。
ということで、2018年9月23日の旅の続きです。
そして県境深部へ
「渓流を下るみち」の入り口に立ったのは11時50分。
何となく不気味な雰囲気。
森の奥が暗いのも気になるけど、案内板もなんか怖い。
文字のフォント、明朝体じゃなく、ポップ体とかにならないかな。
クマの目撃情報も出ていて緊張します。
妹ヶ谷不動尊は、この橋を渡るとすぐ、森の中にありました。
ちょっとお参りしてこよう。
まずは、明るめの木立の中を進みます。
左の斜面の下には、渓流が。
こんな感じで道が続いているといいんだけど・・・
と願うもむなしく、すぐに道は川のほとりに下ってゆき、荒れた感じに。
まだ、ほんの入り口なのですが、早くも秘境感が漂ってきました。
渓流沿いの道は、高く、低く、時に危うげに続いています。
そして何度も川を渡る。
あんまり道らしく見えないから、標識が取り付けられているのは助かる。
ここは、大雨の後に渡るのは危険かもしれないなぁ。
そしてまた渡渉。
こうして次第に県境の最深部へと道は続きます。
渓流奥部を越える
この「渓流を下るみち」ですが、関東ふれあいの道は基本的に時計回りにルートが設定されているので、群馬から埼玉へと向かっているぼくは、逆に渓流を遡っていることになります。
なので、しばらく進めば山に登り、沢から出ると思ったのですが、意外にこれが長い。
湿気の多い道が続きます。
こういう水辺に近い道は、マムシがいたり、獣が集まったりするので、早く出たい。
特にクマが気になります。
と、思っていても、なかなか都合よくいかないのが山道。
倒木をくぐり、また渡る。
渓流というのは基本的に気持ちがいい場所なんですが、当然谷間にあるわけで、基本薄暗い。
で、その薄暗さと湿っぽさが合わさると、独特の雰囲気が醸し出されます。
単独行では、それがすごく気味悪く感じたりする。
道迷い遭難も、たいてい沢に入り込んでのことだし。
(;´・ω・) ドキドキ
と、少し不安になり始めたころ、ようやく道が明瞭になり始めました。
ちょっと心強い。
さらに、登り始めました。ますます心強い!
ようやく谷底から脱出のようです。
と思ったら、昨日の雨のせいで、トレイルが川のようになってる。
勢いよく水が流れています。
足を濡らすと、不快だし、疲労が増大します。
できるだけ、よけながら登りましょう。
こんな場所もあった。
砂防堤の上のようですが、おもいきり水が流れています。
これは見た目以上に水量があって、濡れないというわけにはいきませんでした。
(;´Д`) くっ・・・
そしてまだまだ続く山道。
県境の最奥部は、かなりの秘境です。
ふたたび渓流と合流しました。
まあ、道の細いこと。片足の幅がやっとです。
川に落ちないように気をつけよう。
そしてまた渓流を越える。
流れが急になってきたので、もうすぐ尾根に出るでしょう。
石神峠も、もう近いはず。
見えた! 県境の湖!
と思っていると、突然、急な登りが出現。
階段はかなり崩れています。
ここを登り、しばらく行くと、いよいよ稜線らしきものが。
なんだか人工物っぽいものも見える。
これはもう、林道に到達したでしょう。
登り切ってみると、やはり。
林道が伸びています。
御荷鉾林道、その名も「スーパー林道」
全長は不明ですが、ここから神流湖までは約8kmほど。
この石神峠で13時10分でした。先は長いけど、このまま舗装道が続くなら、のんびり行っても大丈夫かな。
ということで、林道を下っていきます。
・・・長いっ!
1時間ほど下りましたが、ほとんど景色に変化なし。
ただ、トンネルが出現したときは少し緊張。
まあ、出口が見えているからいいんですけどね。
これが意外と、中に入ると長く感じるんです。
トンネルは苦手・・・
ダッシュでトンネルを通過し、さらに進む。
標識がありました。神流湖は近いようです。
しかし、この標識、ちょっとどうかな・・・
(;^ω^) やりすぎ・・・
何度も言うようだが、標識のフォントはポップ体がいいと思う!
とにかく、神流湖が近いということは伝わった。
どうでもいいんですが、面白いキノコ生えてましたよ。
(;゚Д゚) おっ!
見事な相似形!
さらに20分ほど進むと、
ようやく、
見えてきましたっ!
神流湖です!
そして、湖の向こうの山々は、埼玉県!
栃木・群馬県境を越えたのが、2017年7月31日
それから約1年と2ヶ月
長かった・・・
ようやく、目と鼻の先に県境がある。
もう感無量です。
林道を下る足が思わず速くなる。
さあ、行くぞ埼玉へ!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回はいよいよ、県境を越えます!
次回の記事はコチラ⤵
それではまた。
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神社で赤面! 埼玉県境への道
(写真:鹿島神社にて)
どうぞ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
(*´ω`*)ノ
前回は、富岡の平地部から高崎を経て、埼玉県境に近い小梨峠までの旅を書きました。
前回の旅はコチラ⤵
さあ、いよいよ長かった群馬の旅も、終わりが見えてきた。
今回はいよいよ、 埼玉県境を越える旅となります。
そうすると、残すはあと埼玉と東京!
さて、旅の詳細図です。
前回終了した上鹿島バス停を出発し、まずは5kmほどの連絡区間。
温石(おんじゃく)峠を越え、妹ヶ谷バス停まで南下。
ここから「渓谷を下るみち」に入り、妹ヶ谷不動尊、石神峠を経て山を下り、群馬と埼玉の県境となる神流(かんな)湖のほとり、保美濃山バス停までの13.2km。
次に、神流湖にかかる下久保ダムを渡り、三波石峡で知られる神流川沿いに下り、県境にまたがる登仙橋までの「三波石峡のみち」で、群馬の旅は終わり!
だいたい25kmほどの旅程となります。
前回の旅から半年ほどたった、2018年9月23日に旅しました。
鹿島神社でちょっと赤面
はるばる群馬藤岡駅に到着。
ここからバスに乗って、上鹿島まで行きます。
バスの乗客はぼく一人だけ。
どんどん山のほうへ進んでいき、到着しました、上鹿島バス停です。
時刻は9時25分。
ここから山の中に入り、5kmほどの連絡区間を通ります。
バス停からすぐ山の入り口となりますが、そこに古びた小さな神社がありました。
鹿島神社、と鳥居の額には書いてある。
なかなか風情のある門構えです。
入ってみましょう。
すると、こんな立派な石像が・・・
(/ω\) いやーん
すごく、大きいです・・・ゴクリ。
いわゆる金精様ですね。
子宝祈願に、よく見かける。
と思うと、その近くにさらにもう一つの像が!
(*ノωノ) わわわっ・・・
これはっ!
思わず顔が赤らみます。
しかし、こんなに立派なものは初めて・・・
いや、♀のものは初めて見ました。
しかしまあ、昔の日本人は大らかですね。
照れてるぼくのほうが不純なんだなぁ、きっと。
味のある神社で立ち去るのが惜しいけど、まだバス停から300mも離れていない。
つらいが先を急ぎましょう。
爆音のみち
鹿島神社を後にし、30分ほど人気のない山道を登ります。
すると、山の奥から何やら爆音が聞こえてきます。
何だろう、と思いつつ進むと、開けた場所に出ました。
オートバイが、起伏のある土地を走り回っています。
どうやら、モトクロスのコースになっているらしい。
バイクがたくさん集まっていました。
山間に響き渡る爆音を聞きながら、コースの脇に伸びる山道を登っていく。
しかし、しばらく行くと、どうも登山ルートとモトクロスコースが同じことに気が付きました。
道には大きくタイヤの轍が刻まれているし、前後からバイクの爆音が聞こえてくる。
登山道を外したのかと思ったけど、バイクコースと並んで、ふれあいの道の標識が取り付けられていました。
後からバイクが追い越していくし、前からは突然すごい勢いで爆音が近づいてくるので、危なっかしくてしょうがない。
なるほど、だからここは正式なふれあいの道ではなく、連結区間になっているのか。
バイクが怖いので、少し道を外れコース外の林間を進むことにしました。
ようやく、モトクロスコースから外れたようです。
しばらく行くと、舗装道に出ました。
右側の斜面は、大規模に太陽光パネルが設置されています。
大きく山が削られていて、無機質にパネルが並んでいる。
かなり景観は損なわれているし、太陽光発電が一概に自然に優しいとは言えないような気もしました。
温石峠を越えて渓谷へ
舗装道をしばらく進むと、再び山へと入っていきます。
フェンスがあって、立ち入り禁止のようですが、道標が明確に指し示しているのでここから入ります。
入口はやや怪しい雰囲気ですが、中に入れば明るい山道になっていました。
恐らく時々は車が入るのでしょう。
広くて明瞭な道です。
そして11時10分、温石(おんじゃく)峠に到着。
昔の雰囲気を残す静かな峠です。
恐らくここも、かつて武蔵と上野を結ぶ街道だったのでしょう。
温石峠をそのまま下っていくと、再び舗装道に出ます。
さらに下ると、集落が見えてきました。
山間の、隠れ里といった雰囲気。
彼岸花が咲いていて、夏の名残を感じます。
寂れた集落をさらに下っていくと、ありました。
妹ヶ谷バス停です。
まるで廃小屋かと見まがうばかりのバス待合所。
先ほどのバイクの爆音とは比べ物にならないくらいの静けさ。
集落の道の脇に、コスモスが咲いていました。
ここから、埼玉県境に伸びる「渓谷を下るみち」、13.2kmのはじまりです。
群馬と埼玉の県境の神流湖へと続く、まさに秘境の道。
集落のはずれに、ふれあいの道の道標が立っていました。
道標が指し示す先には、細い橋が架かり、その向こうに深い森が広がっています。
さあ、この山を越えれば、埼玉です。
どんな旅が待っているでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、いよいよ県境へと向かいます。
次回の旅はコチラ⤵
ではまた。
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妖狐が化かす小梨峠へ
(写真:牛伏山の牛像)
どうぞ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
(^ω^)ノ
富岡から埼玉県境へ向かう旅の最終回です。
前回は、上野(こうずけ)三碑をめぐる旅のことを書きました。
前回の旅はコチラ⤵
金井沢碑、山ノ上碑を経て、多胡碑に到着したのが11時45分のこと。
「小梨峠から牛伏山へのみち」は残り18kmほど。
詳細図はコチラ⤵
ここから牛伏山に登り、小梨峠を越え、埼玉県境に近い上鹿島バス停で終了の予定。
さて、明るいうちに到着できるでしょうか?
そして牛伏山へ
多胡碑を後にして、南へ。
正面に見える山が牛伏山のようです。
なるほど、牛が寝そべっているようにも見える。
しかし、結構遠いなぁ。
ちょっと、スピードを上げたほうがよさそうだ。
しかし何と、町の中で、かなり迷ってしまいます。
30分ほどかかりようやく町を抜けると、車通りの多い道に出ました。
道標はあるのですが、車道を横切った向こうにある崖を指しています。
一体どっちに行けばいいんだ?
(((;´Д`))) アセアセ
結局、ここで道を探して行ったり来たり。
さらに30分ほど時間を使ってしまいます。
で、ようやく見つけたのがこの道。
それなりの太さもあるし、決して見つけられない道じゃない。
だけど何か奇妙な先入観があって、最初に見たとき、ここじゃないと思ってしまった。
思い込みは怖いなぁ。
さて、この道をまっすぐ進むと、やがて両脇が草木ばかりになってきます。
そろそろ牛伏山のふもと。
道は舗装がなくなり、山の中へと入っていきます。
と、ここでまた、微妙な場所が。
ここで迷うと、ちょっと危うい時間になりつつあるので、慎重に。
右に進みました。
なんだか、道らしいのは左側のような気もしますが・・・。
しかし、右で正解だったようで、しばらく行くとこんな標示が。
「山頂まで700M」
ここが登山道の入り口のようです。
うっそうと木々が被さる橋を越えると、下草の伸びる登りが続きます。
中腹あたりから 整備された感じの登山道となりましたが、意外に急な登り道でした。
そしてようやく、牛伏山の山頂に到着
時刻は13時55分でした。
ちょっと疲れました、もうヘトヘト・・・
さらに奥へと
牛伏山は標高500m足らずの低山ですが、平地を見降ろす地形なので、なかなか見晴らしが良いです。
目の前の丘陵部が、今朝がた苦労した里山地獄一帯かな。
里山地獄の話はコチラ⤵
山頂には、鐘楼がありました。
時間は少し押していたのですが、やはりここはひと突き。
ゴーンという太い音が、ふもとの町並みにもに届くような気がしました。
20分ほど山頂で遊んだ後、山を下ります。
西側の尾根線を下っていくと、舗装道とぶつかりました。
ここからは舗装道を進んでいきます。
下りきったあたりで、人気のない交差点に到着しました。
交差点とも言えないような、樹木に囲まれた場所です。
こういった場所は、山の中よりもむしろ寂しい感じがします。
先を急ぎましょう。
人も車もあまり通らないのでしょうか、ちょっと荒れた雰囲気。
そして、道は竹林へと入っていきます。
もしかすると、こんな感じで小梨峠まで続くのか?
このあたりで15時ぐらいでしたから、少し不安になってきます。
しかし、竹林の中は意外に道がハッキリしていて順調でした。
ところどころ、草が生い茂り道が不明瞭な個所もありましたが、無事に通過。
草の向こうに舗装道が見えてきました。
(*´Д`) ホッ
この最後の箇所は、一番不明瞭な場所でした。
そして、この舗装道を進んでいくと、集落が見えてきます。
これでようやく一安心。
さらに、集落から小梨峠方向へ向かう道は、なんとなくしっかりしている感じが。
この時、時刻は15時15分。
このまま舗装道が続けば、何とかバスの時刻には間に合いそうです。
よかった、よかった。
妖狐が化かす小梨峠へ
しかし、やはりここは関東ふれあいの道。
このままきれいな舗装道が続くわけもありません。
早くも、雰囲気たっぷりな道へと変わってきました。
とはいえ、引き続き簡易舗装の道が続きます。
まあ、これならあまり時間をかけることもなく、峠に到達できるでしょう。
やがて道は渓流から離れ、登り一辺倒となります。
少し日が傾いてきました。
どんどん進んでいきましょう。
振り返ると、ずいぶん登ってきたことがわかります。
登るにつれ、直登気味だった道は曲がりくねるようになり、舗装もいつしかなくなりましたが、それでも一本道なので、たやすく進むことができました。
しかし、やがていくつかの細かい分岐が出現し始めます。
そしてとうとう、どちらが正しい道か判然としない分岐にぶつかりました。
ここでぼくは誤った道を選んでしまい、どうも峠には続かないと判断して引き返すまでにさらに20分ほど使ってしまいます。
ようやく正しい道に戻り、急いで小梨峠を目指しました。
どこまで行けば、峠に着くんだろう。
気持ちは少し焦り始めていました。
そしてようやく、道の先になにやら赤い旗のようなものが・・・
どうやら、小梨峠に到着したようです。
(;´Д`) ヨカッタ
峠には、古い石仏が一つ、ポツンと祀られています。
とても静かでした。
道の脇に案内板が立てられています。
それによると、その昔この峠には老狐が出て、人を化かしたとのこと。
この峠にこうして一人で立っていると、それは伝説や昔ばなしではなく、リアルな現実だと感じられました。
ぼくと同じように、日暮れ時にこの峠を通った旅人は、やはり不安な気持ちだったのでしょうね。
今もなお、狐狸妖怪が棲んでいそうな実感がありました。
さて、時刻はもう16時半を過ぎています。
急いで上鹿島バス停へと下りましょう。
下る前に、振り返って小梨峠を見やります。
深い木々に囲まれて、妖狐が覗いているような気がしましたよ。
あとは一目散に下るだけです。
20分ほど行くと、ようやく集落が見えてきました。
集落の出口には、小さなお地蔵さんが並んでいました。
ここを曲がると、今回の旅の終点、上鹿島バス停です。
バスを待つ間に、どんどん日が暮れてきました。
小梨峠のほうは、もう山が真っ黒です。
バスがやってきました。
これで、富岡から白衣観音、高崎、上野三碑、牛伏山とめぐり、小梨峠を越えた2日間の旅も終わり。
そして、長かった群馬の旅も終わろうとしています。
次回は、とうとう県境を越え、埼玉県に入る旅のことを書きますね。
次回の旅はコチラ⤵
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた。
(; ´ ∀`)ノ バイバイ
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世界の記憶 三つの石碑をめぐる
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みなさん、こんにちは。
(*^ω^*)ノ
前回は高崎の街を出て、「石碑をめぐるみち」に入り、昼なお暗き里山地獄で苦しんだところまで書きました。
前回の旅はコチラ⤵
その里山地獄もようやく終わり、上野(こうずけ)三碑のうち、まずは金井沢碑へと向かう道路へたどり着いたのでした。
詳細図はコチラ⤵
今回は、上野三碑をめぐる旅について書きますね。
上野(こうずけ)三碑とは?
ところで、これからたどる上野(こうずけ)三碑とは、一体何でしょうか?
なんと、2018年にユネスコの「世界の記憶」遺産に登録された、歴史ある石碑らしい。
飛鳥から奈良時代初期の古代遺跡で、金井沢碑、山ノ上碑、多胡碑の総称です。
日本に現存する古代石碑は18例、上野三碑はそのうちの3例が近接している稀有な例とのこと。
古代の日本と東アジアの文化交流状況や、当時の家族制度の様子が分かる貴重な歴史文化遺産なのです。
高崎駅には、この三碑のレプリカも展示されていました。(トップ写真)
そして金井沢碑
さて、前回の記事は、この道路で終わっていたことを覚えていますか。
なんとか、もう里山地獄に入らずに、金井沢碑まで行きたい!
地図上ではここからそれほど離れていない。
何といっても世界遺産なんだから、交通の便はいいはず。
そう信じて道を進むと、
あった!
金井沢碑の案内板。
そして、ここが入り口です。8時50分に到着。
想像していたより、かなり立派。
てっきり、道祖神のように道ばたに立っているのかと思ってた。
石碑までは、なんと木道がつけられています。
これで驚いてはいけない。
なんと、石碑保存のために、立派な建物も建てられています。
正面の扉のように見えるのはガラス窓で、ここから石碑を見ることができます。
これです。
うーん。
光がガラスに反射してうまく撮れない。
どうやら、先祖の供養の一族の繁栄を祈る言葉が彫られているらしい。
726年に立てられた碑で、なんとすでに「群馬」という地名が使われている。
それに比べりゃ東京はなんだ!
(`・ω・´) キリッ
1000年以上新しいぞ!
あなどれないぞ群馬!
歴史ある道と山ノ上碑
さて、次は山ノ上碑に向かいましょう。
やって来た道路を戻るのですが、そこを途中で左手に山のほうに入っていくはず。
その入り口がどうにも見つからない。
しばらくウロウロして、ようやく見つけました。
工事現場のプレハブと重機の横に、なにやら細い道がついている。
なんとここが山ノ上碑へと向かうルートの入り口でした。
いやな予感がする・・・
川を渡って、また山の中に入っていきます。
どうやらこの道は、「鎌倉街道七曲り」と呼ばれた古い街道らしい。
昔、高崎から鎌倉へ行くには、ここを通り藤岡まで出たとのこと。
ただし、いまではどのルートだったか判然としないそうです。
ということで、まずは急坂を登ります。
登りきると、尾根道が緩く続いていました。
里山地獄とは違い、道はよく整備されていて明瞭です。
枝葉越しの日差しが気持ちいい。
途中、いろいろな石碑や歴史の案内板が建てられていました。
歴史の案内板には、かつて防人に任ぜられた若者たちが筑紫の国に旅立つとき、この道を通ったと書いてありました。
水戸黄門も、高崎に立ち寄った際にはこの道を使い、その時山賊にあったそうです。
こういう歴史のある道をたどるのは、感慨深いものがあります。
何千人がこの土を踏んだのだろう、とか。
どんな気持ちでこの景色を見たんだろう、と考えると、道って奥が深いなあと思います。
こうして楽しく山道を歩いていると、突然建物が姿を現しました。
どうやら、山ノ上碑に到着したようです。
09時35分でした。
山ノ上碑も、金井沢碑と同じように、建物で保護されています。
扉のガラス越しに覗いてみます。
(*´ω`*) まぁ、立派・・・
全体の形が残っている最古の石碑とのこと。
681年に、長利というひとが母のために建てたそうです。
まさか、千年以上も残って世界遺産になるとは、長利さんも思わなかっただろうなぁ。
豊かな里と多胡碑
山ノ上碑からは、長い階段を下って集落へと降りていきます。
この階段を下ると、里山とはお別れ。
平地に向かって進んでいきます。
5月とはいえ、景色はもう夏。
下りきると、神社がありました。
山名八幡宮です。
時刻は10時10分でした。
まだまだ元気だったので、休まず先に進みます。
青い穂が、初夏の風に揺れてる。
豊かな里の風景です。
きっと、三碑が建てられた時代から、豊かな土地だったんでしょうね。
しかし、平地に出ると日陰がなくて暑い!
田の中を3kmほど進むと、ようやく「石碑めぐりのみち」の終点、馬庭駅に到着。
まるで普通の家の軒先のよう。
小さな子供がお母さんに見守られて遊んでいました。
日差しの中を40分も進んだので、少し疲れた。
駅の日陰に入り、20分ほど休憩。
で、11時15分に馬庭駅を出発。
ここからは本日最後のルート、「小梨峠から牛伏山へのみち」20km。
ふたたび田畑が広がる平地を進みます。
牛がこちらを物珍しそうに見ていました。
「この暑いのに、何してんだ?」
とでも思ってるんでしょうか?
駅から多胡碑までは2km弱ですが、住宅街に入り込み道に迷ってしまいます。
30分もかけて、ようやくそれらしい場所に着きました。
公園のようですが、「多胡碑記念館」と書いてあります。
中に入ってみると、ありました、立派な建物が!
(´゚д゚`) うぉー
立派な記念館だ!
金井沢碑や山ノ上碑とはかなり違うぞ。
さっそく中に入ってみます。
中には、三碑が建てられたころの遺物や、石碑の文字の拓本などが展示されていて、なかなか面白い。
しかし、肝心の多胡碑が見当たらない!
実は、この記念館の隣に小さな建物があり、そこで石碑は保存されていたのでした。
これです。
古代のものとは思えないくらい、文字がはっきり読み取れます。
(読めないけど・・・)
碑の内容は「このたび近くの村を集めて、新しく多胡郡を作ったからよろしく」というものらしい。
こんなにしっかりした石碑を建てることができたということは、やはり古代から豊かな土地で、腕のいい石工や、教養のある人士も住んでいたということですよね。
今日たどった道も、古代からいろんな人が行き交った道なんだろうなぁ・・・
さあ、これで上野三碑めぐりも終わり。
あとは一路、埼玉県境の山地へと向かうばかりです。
次回は、牛伏山から小梨峠を越える旅のことを書きますね。
次回の旅はコチラ⤵
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
(^ω^)ノ バイバイ
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