④(終わり) 何もない夏は、本当に何もなかったか
みなさん、こんにちは。
もう3回にわたり、父のことを書いていますが、今回で最後です。
前回は、父が死んでしまったところまで書きました。trailtravel8hureai.hatenablog.jp
今も残る自責の念
正直に言うと、今でも自責の念に駆られて、思い出すと苦しくなります。
ぼくのせいで、父は不必要な苦痛の中で死んだのではないかと考えます。
鎮静剤を使いたいといった父に反対したのはぼくだけでした。
医者も、母も、妹もみな父に賛成していたのです。
しかしぼくには、この数日、夜もよく眠り、アイスクリームも食べ、阪神タイガースの試合もテレビで一緒に見ていた父に対し、二度と目覚めないような薬を使うことは、どうしても賛成できなかったのです。
また、今から思えば、ぼくは心のどこかで、「父は死なない」と思っていたのかもしれない。
無意識のうちに、子供のころに抱いていた、「強くて、スーパーマンのようなお父さん」のイメージを、捨てきれなかったのかもしれません。
そして考えたこと
父の死の直後は、葬式のこと、相続のこと、残されたさまざまなことなど、片付けていかなければならないことが山ほどあって、目も回るような忙しさでした。
それに加え、ぼくは夏に転勤があり、それに伴って引越しもあり、単身赴任も始まりましたから、もう無我夢中です。
聞くところによると、人間がストレスを感じる3大イベントとして、肉親の死、引越し、転職があるらしいです。
ぼくの場合、それらが全て同時に来たので、正直言って父の死を悲しんだりする余裕がありませんでした。
そしてようやく、つい最近、四十九日の法要も済ませ、父の死についてゆっくりと考えることができるようになりました。
ぼくは幸いに、父の最後の2ヶ月において、非常に密接な時間を過ごすことができました。
しかし、それはやはり限られた時間であって、父はその与えられた時間が過ぎると、一人で行ってしまった。
そこから先は、ぼくは一緒に行けないのです。
よく考えてみると、同じように、ぼくが生まれる前の父の人生の前半でも、ぼくは父とは一緒にいなかったのです。
そう考えると、例え身内であっても、最初から最後まで一緒にいることはできない。
もちろん、一緒にいる間は、かけがえのない素晴らしい時間を共有しているのですが、それはやがて終わり、また一人で歩いていかなければならない。
そしてまた、誰かと出会い、一緒に歩いて、そしてまた、ある時がくれば別々の道に分かれていく。
そう考えると、やはり人生は旅と似ているのかもしれません。
いろんな人と出会いながら、結局は一人で歩き続けなければならない。
人生を旅に例えることは、よく聞くフレーズです。
しかし、父の死を目の当たりにし、ここから先は一緒に歩いていけないという事実を体感すると、その使い古されたフレーズが、何とも意味深く感じられました。
旅に意味はあるか
もし人生が旅だとするなら、それに意味はあるのでしょうか。
父の旅に意味があったかどうか、ぼくにはわかりません。
ぼくは、ほんの一部分、父の旅に同行したに過ぎないからです。
自分の旅の意味を知ることができるのは本人だけで、
旅の最後に、これまでの道を振り返った時、知ることができるのでしょう。
父の旅の意味や価値は、父にしか分からないとしても、
ぼくが理解できるのは、この人はずいぶん遠い道を旅してきたこと。
そして、目的地に着いたのだということです。
旅の途中で、どんなことがあったのかは知るよしがなくとも、
その事実だけで、父の旅には意味や価値があったのだと、ぼくは信じます。
歩き続けること、そして何らかの目的地に到達すること。
これがあるからこそ、最後に振り返った時、旅に何らかの意味を見出すことができるのではないでしょうか。
だからぼくは、父が最後の日々を迎えて、自分の旅に何らかの意味を見出したのだと思います。
それを知ることはできませんが。
何もなかった夏は、本当に何もなかったか
こう考えると、この何もなかったかに見える夏は、多くのことがあったような気がします。
少なくとも、父の旅の最後の行程に、同行できた。
そして、旅の意味について、もう一度考えることができました。
実は、父の死後、関東ふれあいの道一周をやめようと思いました。
2014年の12月に開始し、もう4年。
ずいぶん長く続けてきました。
しかし、何らかの目的地に到着することが、旅に意味を与えるとするならば、ここでやめてはいけないと考えました。
そしてそれは、この旅を始めたときにも、そう考えていたのです。
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この時ぼくは、「目的地があり、始まりがあって、終わりがある」ことが旅だと考えていました。
だとすると、ここで旅を止めるわけにはいかないのでしょう。
ましてや、父の旅の終わりに同行した夏を契機に、止めてしまうわけにはいかない。
何もなかった夏は、ぼくにとっては多くのものを得た夏でした。
長い記事でしたが、最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
次回からは、これまで通りの記事に戻ります。
ではまた。