『世界最悪の旅』とは?
(写真:A. チェリー=ガラード、戸井十月訳『世界最悪の旅』小学館、1994年、表紙)
みなさん、こんにちは。
(=´∀`)ノ
今回は「山の本、旅の本」です。
前回紹介した本はコチラ⤵
冒険や探検に興味がある人なら、誰しもが南極点到達を競ったアムンセンとスコットの名を知っているでしょう。
結果、ノルウェーのアムンセンはイギリスのスコットより先に極点に到達。
スコット隊は帰路遭難し、隊長のスコットを含む5名の極点隊は全員が死亡。
残されたスコットの手記は、彼らの壮絶な死の様子と、死に際して隊員達が示した冷静さ、責任感、情愛などが記され、全世界の人々に深く感動を与えました。
(スキーを履いたスコット。ガラード『世界最悪の旅』小学館より。この記事内の他の図、写真も同じ)
『世界最悪の旅』は、探検隊の一員でスコットの遺体捜索にもあたったガラードによる、この悲劇的な探検の記録です。
どういう旅だったのか?
1910年6月15日、イギリスを出港したスコット隊31名(探検隊員と船員)は、5ヶ月をかけて南極大陸に到着。
11月1日に 南極点へ向けて本隊は出発します。
スコットは海軍大佐、隊員は軍人や科学者など多彩で、8000人の志願者の中から選抜されました。
スコット隊の主たる動力源は馬(ポニー)です。
これに対し、アムンセンは犬のほうが優れていると判断し、犬ぞりを使用します。
スコット隊の行程は以下の通り。
ロス海の西端、ハットポイントと呼ばれる小さな岬に基地を設定し、ここからロス氷原を進みます。
南極横断山地をピアドモア氷河沿いに登り、そこから極地高原を横断するルートで、これは当時知られていた唯一のルートです。
(これに対しアムンセンはロス氷原の東側から上陸し、新ルートで極点を目指します)
地図ではピンときませんが、このルートは片道約1420km、往復では約2840km。
これは日本最北端の択捉島から最南端の沖ノ鳥島までの距離よりも長い。
その間には人家はおろか、森も川もなく、動物も植物も存在しないので一切の補給ができない。もちろん途中でエスケープすることも不可能。
なので、ルート上にいくつものデポが設定され、途中で補給できるようにしてありましたが、スコットたちは最後のデポの20km手前で力尽きました。
それがいかに間際の地点であったかは、地図を見れば分かります。
遭難の地は、一トンデポと名付けられたデポのすぐそばです。
さらに、基地が置かれたハットポイントも、これまでの道のりを考えれば、目と鼻の先と言ってもいい距離でした。
スコット隊の苦難
南極の地形は峻嶮です。
氷結した海のイメージで、ホットケーキのように平らな地形を想像していましたが、写真や記録を見ると全く違う。
写真の左下に人影が写っているので、氷壁の高さが推測できます。
実は南極大陸は最も平均標高の高い大陸で、その平均は2000mを越えます。彼らが通過した南極中央部の山塊には4000mを越える高峰も無数に存在していました。
南極最高峰のヴィンソン・マシフは標高4892mです。
ロス氷原(実は海に張った氷)を越えれば、いきなり3000mもの標高差がある氷河を登らなければならないのです。
この写真はピアドモア氷河で撮られた一枚ですが、行く手には縦横に伸びる氷の山並みが見えます。
スコットたちはこのような氷の山を越えていかなければならなかったのです。
後に、遭難の原因に馬を使ったことが指摘され、アムンセンのように犬ぞりを使うべきだったという人に対し、著者のガラードは「犬で氷河をどうやって上り下りしたらよいかを教えて欲しい」と反論しています。
しかし、馬は犬ほど寒さに強くなく、草食なので途中で餌を入手することはできません。(犬は死んだ仲間の肉を餌にできる)
結局、寒さと餌の欠乏によって、早くも氷河に差し掛かる前に全頭が放棄(射殺)されます。
これは大きな出来事でした。
まだ行程の3/4を残し、人力で荷を運ばなくてはならなくなったのです。
人力でソリを引いている写真です。
ソリを引く人は前かがみになって足を突っ張らせており、その苦しさが伺えます。
これで彼らは3000mを越える雪と氷の塊を登ったのでした。
最後に彼らを死に追いやったのは、帰路、氷原に下ってからの悪天候です。
日中でも-30℃、夜間では-40℃まで下がり、既に体力が落ちていた隊員たちは一気に衰弱していきます。
さらに3月20日からはブリザードが吹き始め、デポまであと20km以内の地点まで近づきながら進めなくなってしまう。
食料はあと2日分、燃料は1日分が残っているだけでしたが、ブリザードは29日にスコットが死を迎えるまで吹き続けました。
彼らの最期
スコットは、仲間たちがどのように死んだのかを書き残しています。
日誌によると、彼らは最期まで冷静で、互いに励まし合い、仲間を見捨てませんでした。
特に心打たれるのは、オーツという隊員の死です。
オーツはその2週間ほど前から凍傷がひどくなり、死の前日には「これ以上進めないので、寝袋に入れたまま置いて行って欲しい」と皆に頼んでいました。
食料と燃料は極端に不足しており、すこしでも早く次のデポにたどり着かなくては全滅の恐れがあります。
この時点でオーツは足と手が動かなくなっていて、彼がいれば前進のペースが遅れることは明らかでした。
しかし、その訴えは却下されます。
スコットはオーツの死をこう記しています。
「オーツは勇敢な男だった。最期は、次のようだった。
死の前夜、二度と目が覚めないようにと祈りながら彼は眠った。しかし、朝になると目覚めてしまった。
外ではブリザードが吹き荒れていた。
彼は『ちょっと外に出てくる』と言い残し、ブリザードの中へ消えて行った。
オーツは、皆の足手まといにならないようにと自ら命を絶ったのだ」
そしてスコットも、オーツの最期から約2週間後、ブリザードに閉じ込められたテントの中で死を迎えます。
彼は、残った3人のうち最後に息を引き取ります。
日誌は彼の頭の下に置かれ、その手は寝袋から出されて、終生の友であったウイルソンのほうに伸ばされていました。
スコットがいくつかの重大なミスをしたのは事実であり、批判的な評価があるのも致し方ないでしょう。
失敗の要因としては隊の組織編成から、スコット個人のリーダーシップや性格に至るまで、多くの指摘が存在します。
もちろん、これらの失敗を知ることは重要ですし、意義のあることです。
しかしこの本がぼくの心を打つのは、「未知のものを知りたい」、「誰も行ったことのない所へ行きたい」という人間の探求心・好奇心と冒険心の強さです。
この止めることのできない本能ゆえに、彼らは旅立ったのであり、死んだといえます。
愚かではありますが、その本能ゆえに人間は人間らしいのでしょう。
そして恐らく、旅をする人ならば誰しもが、彼らに多かれ少なかれ共感するのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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