ロングトレイルの旅   関東ふれあいの道一周

1都6県をつなぐ自然歩道「関東ふれあいの道」1800Kmを一周するりゅうぞうのブログです。

『ドキュメント 道迷い遭難』が語るもの

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(写真:羽根田治『ドキュメント道迷い遭難』山と渓谷社、2006年、表紙)

どうぞ読者に!⤵

みなさん、こんにちは。

今回は「山の本、旅の本」シリーズです。

前回『一日の王』を紹介したのが3月。

その前の『世界最悪の旅』を紹介したのが1月ですから、このシリーズはご無沙汰でしたね。

前回の「山の本、旅の本」はコチラ⤵

さて、今回紹介する『ドキュメント 道迷い遭難』ですが、山を歩く人なら誰でも、このタイトルにドキッとすることでしょう。

低山・高山問わず道迷いは起こりうるし、さらに言えば、初心者・ベテラン問わず誰でも一度は程度の差こそあれ、山で道を間違えたり、迷ったりした経験があるでしょう。

つまり、誰にでも起こりうる遭難

そんな身近な遭難がドキュメント形式で生々しく記述されているので、読んでいるうちに自分が遭難しているような気持ちになってきます。

ぜひ読んでもらいたい一冊です。

 

なぜ下ってしまうのか?

この本には7つの事例が紹介されています。

そのうち数例は十分に余力を残して下山していますが、その他の死の寸前まで追い詰められた事例にはいくつかの共通点があります。

それは、

➀ 道を間違えたことに気づいていながら、引き返していない。

② 下った結果、沢に入り込んでいる。

➀については、あとで触れるとして、まずは②について。

この本では、死の寸前までいった事例の全てが、山を下って沢に入り込んでいます。

 

そもそも、なぜ下るのか?

その大きな理由の一つは、山を下りたいという強い衝動です。

下れば集落があり、助かるという、このわかりやすい理屈。

 

特に、見下ろす先に集落や、町の明かりが見えた時には、このまま下れば大丈夫と信じてしまう。

つまりこういうことです⤵

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彼の目には、真下に見える集落しか見えていませんが、実はその間には深い深い沢が存在している。

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こんな感じでしょう。

しかし、ここを町の灯り目指してそのまま下って行けばどうなるか?

恐らく、彼は沢に入り込み、二度と出ることができなくなるでしょう。 

この写真のように夜で、遠くに町の明かりが見えたらどうでしょうか?

まっすぐ降りていきたいとは思いませんか?

 

なぜ引き返さないのか?

この本の7つの事例では、全員が途中で道迷いに気付いています。

しかし、一例を除き引き返した人はいませんでした

なぜでしょう?

引き返さなかった理由は人それぞれですし、なかには理性的に思えるものもある。

しかし、どんな理由があろうと、彼らは気付いた時点で戻るべきだったのです。

その理由について、著者の羽根田さんはこう書いています。

「それはたぶん、道迷い遭難が人の本能と願望の葛藤に起因するからだと思う」

それはどういうことなのでしょう?

 

「今たどっているルートが正しいものであって欲しい、という願望(略)。その結果、願望が勝ってしまう。かくして道迷い遭難が起きる」

これは説得力のある言葉。

危機に陥った時、最も人の心を支配するのは願望だと思います。

この事例でも、

「このまま行っても目的地に出るだろう」

「ここを引き返すよりは近道だろう」

「このまま行った方が確実だろう」

「この先に建物が見えているんだから大丈夫だろう」

これらは全て、その時の当事者には合理的な判断に思えていたものですが、全て願望にすぎませんでした。

その結果、彼らは沢に入り込み死の淵をさまようことになるのです。

 

「目的地に出るだろう」は願望にすぎません。

このように、危機に直面しながら、それを認めようとしない心理状態は「正常性バイアス」と呼ばれます。

羽根田さんはこう言います。

「道迷い遭難には、このように人の心の一番弱いところに原因を成すものがあるからではないか。そうでなければ、毎年多くの道迷い遭難が起きている説明のつけようがない」

そしてもし、道迷い遭難が羽根田さんの言うように「人の心」に原因があるのならば、それは低山・高山を問わず起こる可能性がある。

さらにいえば、山の経験を問わず、誰にでも起こりうる可能性があるのです。

人の心が原因ならば、道迷い遭難はどんな山であれ起こりうる可能性があるということでしょう。 

むしろ、低山のほうが、こんな楽観的な願望が生じるスキが多いかもしれませんね。

低山での遭難についての記事はコチラ⤵

沢はなぜ危険か?

なぜ沢に入ってはいけないのか?

登山を始める前、ぼくはこれが一番疑問でした。

沢は必ず下へと下り、合流して川となり、川はやがて人のいる集落へと流れつくようになっている。

だとすれば、沢の存在そのものが、山から脱出する道なのではないかと思うわけです。

 

なぜこれをたどってはいけない?

その理由は、この本の全ての事例が沢に入り込み、そのうち2例を除いて沢から無事に脱出できなかったという事実が物語っています。

たいていの場合、沢はやがて両岸が切り立った崖となり、いつか滝となる。

それが例え数メートルの滝であっても、これを下ることは困難。

結果、進むことも、戻ることも、左右に逃げることもできず、袋小路に入り込んで死を迎えることとなります。

こんな袋小路では、ヘリで発見してもらうことすら難しい。

だから、 沢には入ってはいけないのです。

 

ならば、尾根を下れば大丈夫か?

これも違う。

尾根は下るにしたがって、数限りない分岐を繰り返し、やがて沢へと下っていきます。

下の図は皆がよくご存じの雲取山の尾根線です。

いかがでしょう。

少し東に登山道を逸れただけで、無数の尾根の分岐に遭遇してしまう。

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このどれか一つでも、下り続けて無事に帰ることができるとは思いません。

これらの終点は全て沢です。

なら、下らずにもと来た道を登り返すことがベストだと分かるでしょう。

逆に言えば、尾根を登り返すなら、頂上に行くに従って道が集約し、迷うリスクは急速に減少していくということです。

沢を下ってしまった遭難事例⤵

 

最後に

この本は恐ろしい本です。

しかし、読み方によっては、恐ろしくない本ともいえる。

というのも、当然ながら、ここで扱われている事例は、みな生還者の事例だからです。

読み方によっては、迷いはするかもしれないが、結局は助かるようにも見える。

しかし、著者の羽根田さんも書いていますが、あくまで彼らは「運が良かっただけ」。

 

道を間違えたとき、

いかに人は戻ろうとしないか、

いかに楽観的な願望にすがるか、

いかに通常ではしないような判断をするか、

そして、いかに沢に入り込み、逃れられなくなるか。

ぜひ、そのプロセスを読んでほしい本です。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは、また。

(´・ω・`) バイバイ

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