トムラウシ山遭難にみる低体温症の恐怖
(写真:羽根田治他『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』ヤマケイ文庫、2012年、表紙)
どうぞ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
今回はふれあいの道の旅はお休みして、久しぶりの「山の本、旅の本」紹介です。
前回は7月に羽根田治さんの『ドキュメント道迷い遭難』を取り上げましたから、このコーナーは4ヶ月ぶりですね。
前回の「山の本、旅の本」はコチラ⤵
今回紹介するのはヤマケイ文庫から2012年に出版された『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』です。
なんか遭難系の本が続きますが、ぜひ読んでもらいたい本、ということで。
山登りに興味のない人でも、2009年7月16日に起きた北海道トムラウシ山での大量遭難のニュースは知っている人も多いでしょう。
8人が死亡するという大惨事に加え、夏にもかかわらず低体温症で死亡、ツアー登山での大量死ということで、多くの人々の驚きを集めた遭難事故です。
ちなみに著者は羽根田治、飯田肇、金田正樹、山本正嘉の4氏です。
またまた羽根田さん登場ですが、日本の遭難検証本の第一人者ですから、これも当然といえば当然。
羽根田さん以外の3氏は、トムラウシ山遭難事故調査特別委員会のメンバーで、それぞれの専門分野からこの事故を詳細に分析・検証されています。
低体温症の段階
2007月7月16日の午前05時30分、前日から引き続く風雨のなか、ヒサゴ沼避難小屋を出発したツアー18名(ガイド3名、参加者15名)は、北沼から前トム平の間で8名(ガイド1名、参加者7名)が死亡します。
その原因は低体温症でした。
(『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』の図表(43頁)を引用)
ヒサゴ沼分岐から南は吹き晒しの稜線で、木道に掴まらなければ吹き飛ばされるほどの強風が吹き、北沼付近は登山道に水が氾濫。
気温は6℃前後で推移し、夕方には3.8℃まで下がる。
とくに悲惨だったのは北沼以降で、氾濫部位を渡るのに時間がかかり、その場で長く待機したことも原因となって、多くの人が急速な低体温となり命を落としています。
この本は6章から構成されています。
第1章「大量遭難」羽根田治
第2章「証言」
第3章「気象遭難」飯田肇
第4章「低体温症」金田正樹
第5章「運動生理学」山本正嘉
第6章「ツアー登山」羽根田治
羽根田さんが第1章で遭難の概要について述べた後、ツアーガイドの証言が紹介され、その後専門家による検証が続きます。
いずれの章からでも読むことができ、どれも読みごたえのある内容になっています。
なかでも、僕にとって金田さんの「低体温症」は多くの発見がありました。
僕も一応、山に登るものとして、低体温症の症状と対処要領については最低限の知識を持っていたつもりでしたが、この本を読み、認識が誤りだったと知りました。
他の症状も同じですが、低体温もその兆候を見逃さずに発見することが重要です。
大まかに、
➀ まず寒気を感じ(体温36℃)
② 次に震え、しびれ、感覚の麻痺、動作への影響(同35℃)
③ 激しい震え、意味不明の言動、無関心、眠気、判断力低下(35~34℃)
④ 行動不能、意識の喪失、半昏睡、脈拍・呼吸低下、硬直(34℃~28℃)
(④はさらに細かく区分でき、金田さんもそうしているが、ここでは省略)
⑤ 昏睡、心停止(28~26℃)
の順で症状が現れるとされています。僕もそう認識していました。
山行では③以上で応急処置をしなければ死に至ることが多い。
すなわち、体温34℃のラインに乗ると生死のバランスが大きく死に傾き始める。
激しい震えや、言動の異変は34℃ラインに乗ったという危険信号なので、それを見逃してはいけない。
このような知識は持っていたのですが、ぼくの大きな誤解は二つ。
その一つは、これらの症状はそれなりに時間をかけて現れると思っていたこと。
昔は低体温症を「疲労凍死」といっていたように、まずは時間をかけて疲労が現れ、そして数時間の➀②段階が続くと思っていました。
第二は、これらの段階をある程度順に追って症状が現れると思っていました。
なので、まず震えの症状を見逃さないことだ、と考えていたのです。
トムラウシ遭難に見る新たな発見
この事故で明らかになったのは、生死ラインの34℃に到達するスピードの速さです。
最初に症状が出た方は、歩行が不安定になり始めたのが9時30分、心停止したのが11時30分過ぎと推測されます。
僅か2時間で②から⑤の段階に到達。これは体温が1℃下がるのに15分であったことを意味します。
(ある程度、最初はゆっくり、最後は加速度的に低下すると思いますが)
体温が1℃下がり34℃になれば、処置が間に合う最後の③段階になるのに、その間たったの15分!
15分といえば、大抵は「ちょっと様子を見よう」と判断するのではないでしょうか。
しかしこのスピードでは、「ちょっと様子を」の間に、応急処置に最も大事な段階が過ぎ去ってしまう。
重要兆候の「言動の異変」の観察などしている間もないスピード!
これは、深く考えさせられる事実でした。
次に、明らかになったのは症状は時に段階を踏まないという事実。
震えや寒気は、低体温症の重要な兆候です。
特に激しい震えは、危険段階の重要なサインと考えられる。
しかし、ある生還者は「歩行はふらふらした状態で、ストックで体を支えながら歩いたが、震えは自覚していない」と証言。
また、同じ日に同コースをたどった別グループも危険な状態にありましたが、その証言も同様に、
仲間の一人は支えきれないほどふらつき、無関心で受け答えもスローだったにもかかわらず、震えが伴わなかった、と述べています。
この両者はいずれも、寒さによる脳へのダメージを受けており、②~③の段階に移行しつつあります。
しかし、どちらも震えていない。
脳を守るため、身体は震えにより熱生産するはずですが、なぜなのでしょう?
金田さんの見解では、「震えを起こすだけのエネルギーがなかった」です。
震えは筋肉の運動であり、筋肉を動かすにはエネルギーが必要です。
しかし、既に運動量が過多でエネルギーを使い果たしていたり、出発前や行動中に十分な補給を取っていないと、筋肉を動かす十分なエネルギーが残っていない。
これに先ほどの急速な体温低下が加わると、どうなるでしょう。
身体は震える間もなく体温を失っていく。
すなわち、「震えずに凍える」可能性があるのです。
さらに、震えは感じていたが、その次の段階を一気に飛び越した例も。
北沼を渡る際の待機で強烈な寒さを感じていた人が、行動再開後200mほど歩いたところで突然直立不動になり、その場で亡くなっている。
これは④でも最終段階の「硬直」(体温30℃)であり、この前には行動や意識の障害(34~32℃)が「発生するはず」なのですが、確認されていません。
これは、待機時に冷やされていた血液が、一気に全身をめぐり急速に体温低下したと考えられます。
つまり、段階的に低体温の兆候が現れるというのは状況によっては当てはまらず、危険な思い込みでした。
低体温症はなぜ恐ろしいか
金田さんがこの本で書いているように、過去の遭難例で低体温症を医学的に解明されたデータはなく、医学書では低体温について一般的なことしか記述されていません。
その意味で、この『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』は、体験証言と医学的データを結びつけて検証した貴重な本であり、山に登る人はもちろん、あらゆる野外活動をする人たちに読んでもらいたいと思います。
なぜ、低体温症が恐ろしいか。
金田さんはこれらの事実が、「低体温症の適切な処置をとる猶予が全くない」ことを示していると書いています。
最も顕著な兆候である「震え」さえ起らないうちに症状が進んでしまえば、なすすべがないような気もする。
これは本当に恐ろしい事実。
単独であれパーティであれ、歩行が困難になった段階で相当危険な状況です。
これが何の兆候もなく現れたうえ、15分で1℃の体温低下が生じたら、あなたは何ができるでしょう?
こんなにスピードの速い危険には、予防と迅速な対応しかないと思います。
症状のスピードと、段階が必ずしも順を踏まないという事実を知っていれば、かなり早期から様々な観点で症状の進行を把握でき、処置をすることができるはずです。
事前や途中でしっかり補給をとることに着意したり、よろめくのは疲労ではなく低体温の兆候かもしれないと注意喚起できるかもしれません。
また、症状の恐ろしいスピードを知っていれば、多少面倒でも早めの防寒処置や、思い切った着替えを行おうという気になるかもしれません。それが急速な体温低下を防ぐことになるのです。
ぜひ、一読いただきたい本です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回はまた、ふれあいの道に戻りますね。
いよいよ、埼玉県境を越えますよ!
ではまた。
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