子連れ登山時の判断について 五頭連峰の遭難に思う②
どうぞ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
前回、五頭連峰での遭難事故について、道迷いの点から記事を書きました。
前回の記事です⤵
もちろん、道迷いは遭難につながる大きな危険です。
しかし、前回の記事を書いた後、あの痛ましい遭難は、必ずしも単純な道迷いだけが原因ではないと強く感じるようになりました。
なので今回は、あの事故をもたらしたもう一つの要因について考えてみたいと思います。
その要因とは、小さなお子さんを連れた登山だったということです。
子供と一緒に登る山は素晴らしいものです。
ぼくもよく、子供と山に登ります。
しかし一度、途中で夜になってしまったことがありました。
娘はその時小学6年生でした。
もちろん、明るいうちに下山するよう登山計画は作成していたのですが、最後の行程を1時間ほど残して日没となってしまったのです。
幸い、既に下山ルートの稜線に乗っており、尾根を外さず下るだけの道でしたが、初めてのルートでしたし、秋ということで落ち葉が積もっており道が分かりにくく、非常に慎重に進んだ記憶があります。
娘は、ぼくのあとをぴったりついてきます。
しかし、初めて経験する山の夜です。その闇の深さ、静けさ、不気味さに怯えている様子がひしひしと伝わってくる。
ぼくが道を確認するために立ち止まり、あたりを見回すと、父が道に迷っているのではないかと疑うのでしょう。とても不安な表情を見せます。
夜の山を30分ほど歩くと、
「おとうさん、まだ着かないの?」と聞いてきます。
その声はもう、涙声です。
ようやく登山道が整備された階段に変わり、樹木の向こうに里の灯りが見えた時、娘の顔に笑顔が戻りました。
しかし、それは娘だけではなく、ぼくも同じです。
心から、ホッとしたのを覚えています。
ぼくは、この1時間ほど、相当緊張していたのでした。
単独行では何度も夜の山を経験していましたが、この時は、全く違う種類の緊張と不安を感じました。
その理由は、大きく二つあると思います。
一つは、「子供を不安がらせてはいけない」という気持ちです。
子供は敏感ですから、親が不安な気持ちでいるとすぐに見抜きます。
道を確かめるために立ち止まり、あたりを見回すだけで、子供は強い不安を感じます。
このため、ぼくは、あからさまに道を確認することを避けてしまいました。
こんな状態で、もし、本当に道に迷った場合、それを子供に言えるでしょうか?
あるいは、もと来た道を引き返すことができるでしょうか?
「お父さんが道に迷った」
ただでさえ不安な子供にとって、これは耐えられないほどの恐怖でしょう。
子供を不安にさせたくない、親として当然感じるその気持ちが、本来の判断を遅らせた、あるいは誤らせたかもしれません。
第二に、「早くこの状態から子供を救ってやりたい」という気持ちです。
前回の記事でも書いたように、道に迷った時に下り続けてはいけません。
登り返し、尾根線まで出ることが大事です。
しかしそれは、単純に言ってしまえば再び山を登ることであり、つまり、子供にとっては下山が遠ざかることに他なりません。
「おとうさん、まだ着かないの?」
と涙声に尋ねる子供を目の前にして、もういちど登り返すよ、と告げることは心情的にかなり辛いことです。
もしかすると、このような状態が二人にも生起したかもしれません。
この二つの要因は、登山技術や知識といったものとは、また別の要素が含まれています。
単独行であればためらうことなく立ち止まり、時間をかけてあたりを確認し、再び登り返すことを選んだかもしれません。
もしかすると、そうしなかったのは、子供を思いやる父の気持ちがあったのではないでしょうか。
重なり合って倒れていたというお二人の状態からは、そのような気持ちが強く感じられます。
もちろん、それを踏まえても、正しい判断をすべきなのは言うまでもありません。
ただし、子供を連れて山に登るときは、「子供を不安がらせたくない」、「この状態から早く救ってやりたい」、という気持ちが、正しい判断を誤らせることがあるということを頭に入れておくべきでしょう。
さらに言えば、子供の体力は大人とは比べ物になりません。
登山のような行動では、それが顕著に表れます。
コースタイムは標準タイムの3倍になることもありますし、登山の後半からは疲れも出て登り返すことも困難になるかもしれません。
子供との登山は素晴らしいものです。
同じように汗を流して山を登り、同じ絶景を見るという体験は、何ものにも替え難い思い出となるでしょう。
しかし、その裏には、単独行や大人同士の登山とは、また別のリスクがあり、判断を狂わせる別の要因があるということを理解しておくことが必要だと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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