世界の記憶 三つの石碑をめぐる
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みなさん、こんにちは。
(*^ω^*)ノ
前回は高崎の街を出て、「石碑をめぐるみち」に入り、昼なお暗き里山地獄で苦しんだところまで書きました。
前回の旅はコチラ⤵
その里山地獄もようやく終わり、上野(こうずけ)三碑のうち、まずは金井沢碑へと向かう道路へたどり着いたのでした。
詳細図はコチラ⤵
今回は、上野三碑をめぐる旅について書きますね。
上野(こうずけ)三碑とは?
ところで、これからたどる上野(こうずけ)三碑とは、一体何でしょうか?
なんと、2018年にユネスコの「世界の記憶」遺産に登録された、歴史ある石碑らしい。
飛鳥から奈良時代初期の古代遺跡で、金井沢碑、山ノ上碑、多胡碑の総称です。
日本に現存する古代石碑は18例、上野三碑はそのうちの3例が近接している稀有な例とのこと。
古代の日本と東アジアの文化交流状況や、当時の家族制度の様子が分かる貴重な歴史文化遺産なのです。
高崎駅には、この三碑のレプリカも展示されていました。(トップ写真)
そして金井沢碑
さて、前回の記事は、この道路で終わっていたことを覚えていますか。
なんとか、もう里山地獄に入らずに、金井沢碑まで行きたい!
地図上ではここからそれほど離れていない。
何といっても世界遺産なんだから、交通の便はいいはず。
そう信じて道を進むと、
あった!
金井沢碑の案内板。
そして、ここが入り口です。8時50分に到着。
想像していたより、かなり立派。
てっきり、道祖神のように道ばたに立っているのかと思ってた。
石碑までは、なんと木道がつけられています。
これで驚いてはいけない。
なんと、石碑保存のために、立派な建物も建てられています。
正面の扉のように見えるのはガラス窓で、ここから石碑を見ることができます。
これです。
うーん。
光がガラスに反射してうまく撮れない。
どうやら、先祖の供養の一族の繁栄を祈る言葉が彫られているらしい。
726年に立てられた碑で、なんとすでに「群馬」という地名が使われている。
それに比べりゃ東京はなんだ!
(`・ω・´) キリッ
1000年以上新しいぞ!
あなどれないぞ群馬!
歴史ある道と山ノ上碑
さて、次は山ノ上碑に向かいましょう。
やって来た道路を戻るのですが、そこを途中で左手に山のほうに入っていくはず。
その入り口がどうにも見つからない。
しばらくウロウロして、ようやく見つけました。
工事現場のプレハブと重機の横に、なにやら細い道がついている。
なんとここが山ノ上碑へと向かうルートの入り口でした。
いやな予感がする・・・
川を渡って、また山の中に入っていきます。
どうやらこの道は、「鎌倉街道七曲り」と呼ばれた古い街道らしい。
昔、高崎から鎌倉へ行くには、ここを通り藤岡まで出たとのこと。
ただし、いまではどのルートだったか判然としないそうです。
ということで、まずは急坂を登ります。
登りきると、尾根道が緩く続いていました。
里山地獄とは違い、道はよく整備されていて明瞭です。
枝葉越しの日差しが気持ちいい。
途中、いろいろな石碑や歴史の案内板が建てられていました。
歴史の案内板には、かつて防人に任ぜられた若者たちが筑紫の国に旅立つとき、この道を通ったと書いてありました。
水戸黄門も、高崎に立ち寄った際にはこの道を使い、その時山賊にあったそうです。
こういう歴史のある道をたどるのは、感慨深いものがあります。
何千人がこの土を踏んだのだろう、とか。
どんな気持ちでこの景色を見たんだろう、と考えると、道って奥が深いなあと思います。
こうして楽しく山道を歩いていると、突然建物が姿を現しました。
どうやら、山ノ上碑に到着したようです。
09時35分でした。
山ノ上碑も、金井沢碑と同じように、建物で保護されています。
扉のガラス越しに覗いてみます。
(*´ω`*) まぁ、立派・・・
全体の形が残っている最古の石碑とのこと。
681年に、長利というひとが母のために建てたそうです。
まさか、千年以上も残って世界遺産になるとは、長利さんも思わなかっただろうなぁ。
豊かな里と多胡碑
山ノ上碑からは、長い階段を下って集落へと降りていきます。
この階段を下ると、里山とはお別れ。
平地に向かって進んでいきます。
5月とはいえ、景色はもう夏。
下りきると、神社がありました。
山名八幡宮です。
時刻は10時10分でした。
まだまだ元気だったので、休まず先に進みます。
青い穂が、初夏の風に揺れてる。
豊かな里の風景です。
きっと、三碑が建てられた時代から、豊かな土地だったんでしょうね。
しかし、平地に出ると日陰がなくて暑い!
田の中を3kmほど進むと、ようやく「石碑めぐりのみち」の終点、馬庭駅に到着。
まるで普通の家の軒先のよう。
小さな子供がお母さんに見守られて遊んでいました。
日差しの中を40分も進んだので、少し疲れた。
駅の日陰に入り、20分ほど休憩。
で、11時15分に馬庭駅を出発。
ここからは本日最後のルート、「小梨峠から牛伏山へのみち」20km。
ふたたび田畑が広がる平地を進みます。
牛がこちらを物珍しそうに見ていました。
「この暑いのに、何してんだ?」
とでも思ってるんでしょうか?
駅から多胡碑までは2km弱ですが、住宅街に入り込み道に迷ってしまいます。
30分もかけて、ようやくそれらしい場所に着きました。
公園のようですが、「多胡碑記念館」と書いてあります。
中に入ってみると、ありました、立派な建物が!
(´゚д゚`) うぉー
立派な記念館だ!
金井沢碑や山ノ上碑とはかなり違うぞ。
さっそく中に入ってみます。
中には、三碑が建てられたころの遺物や、石碑の文字の拓本などが展示されていて、なかなか面白い。
しかし、肝心の多胡碑が見当たらない!
実は、この記念館の隣に小さな建物があり、そこで石碑は保存されていたのでした。
これです。
古代のものとは思えないくらい、文字がはっきり読み取れます。
(読めないけど・・・)
碑の内容は「このたび近くの村を集めて、新しく多胡郡を作ったからよろしく」というものらしい。
こんなにしっかりした石碑を建てることができたということは、やはり古代から豊かな土地で、腕のいい石工や、教養のある人士も住んでいたということですよね。
今日たどった道も、古代からいろんな人が行き交った道なんだろうなぁ・・・
さあ、これで上野三碑めぐりも終わり。
あとは一路、埼玉県境の山地へと向かうばかりです。
次回は、牛伏山から小梨峠を越える旅のことを書きますね。
次回の旅はコチラ⤵
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
(^ω^)ノ バイバイ
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