① 何もなかった夏は、本当に何もなかったか
みなさん、こんにちは。
前回の記事、「金の竹、キンメイチクの里へ」のアップが7月15日のことですから、はや2ヶ月近くたちました。
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
何もなかった夏
この間、ブログはもちろんのこと、山や旅に関わる活動は何もしていません。
関東ふれあいの道も、5月20日の群馬の旅以来、全く進んでいません。
(埼玉県境は、もう目前の位置まで来たのですが・・・)
去年行けなくて、今年こそ行こうと思っていた、北アルプス最奥部の雲ノ平にも。
今年は挑戦しようと思っていた南アルプスの縦走にも。
2015年から毎年出ていた「分水嶺トレイル」もDNS(出場せず)。
友人と一緒に行く予定だった「東海自然歩道トレイルマラニック」も同じ。
楽しみにしていた2年に一度の「TJAR」スタッフも辞退。
毎年のように友人たちが集まり、同窓会のような「白馬国際トレイルラン」も参加しませんでした。
父のがん
その理由は、父に末期のがんが見つかったからです。
本人から電話がかかってきたのが5月の末。
ステージ4のすい臓がん。肝臓や肺にも転移していて、余命6ヶ月と宣告されたとのこと。
ぼくは驚くというより、全く信じられず、実感もありませんでした。
なぜなら、数週間前のGWに会った時は、全く元気でしたし、
いま、電話から聞こえてくる声だって張りがあって、とても余命宣告されたような人の話しぶりには思えない。
来週、もっと大きな総合病院で再度検査を受けるというので、とりあえず半信半疑ながら、実家へ戻ることにしました。
なぜそんなことを言うのか
実家の父は、やはり元気に見えました。
ぼくは、精密な検査をすれば、もっとちがう結論が出るのではないかと感じました。
なので、どちらかと言うと、楽観的な気持ちで病院に付き添ったのです。
しかし、結論は全く逆でした。
「もうこの段階では、治療をしてもムダ(もっと抑えた表現でしたが)。できるだけ苦痛を与えず過ごさせてあげたほうがいい」と医者は言うのです。
なぜそんなことを言うのか。
人並み以上に顔色も良く、精力的にしゃべり、冗談を言い、早足で歩く、まだ70才になったばかりの男が、もう手遅れの状態にあるとは、とても信じられませんでした。
例え、がんだとしても、抗がん剤や、放射線や、手術や、いろいろな手段の治療があるではないか。
なぜ、それすらムダだと言うのか。
医者の言っていることは理屈ではわかりましたが、心の底では理解できませんでした。
残された時間
とはいえ、医者の言うことを信じるなら、残された時間はそう長くありません。
ぼくはできるだけ、仕事を休んで実家に帰りました。
節約のため、夜行バスで往復しました。
夜行バスで寝て、そのまま出勤するのはかなり疲れます。
ふれあいの道や、山行や、大会なども全て中止して、最大限の時間を父のために使うことに決めました。
余命宣告が正しいならば、「その日」は12月ごろ。
しかし、もっと伸びるかもしれない。
ひょっとしたら、余命6ヶ月といいながら、2年・3年と生きるかもしれない。
ぼくはそう思っていました。
病院の食事がおいしくないというので、ぼくたちは病院内のレストランや、時には外に食べに行ったりしました。
父は何を食べてもいいといわれていたのです。
なじみの散髪屋に行ったり、近所をドライブしたりもしました。
確かに、元気とは言えないかもしれませんが、それでも数か月後には死んでしまうとは思えませんでした。
②へつづきます。
trailtravel8hureai.hatenablog.jp