まるで水墨画のトレイル(京都一周トレイルの旅③)
(写真:鞍馬駅前の天狗像)
みなさん、こんにちは。
(^ω^)ノ
京都一周トレイルの旅の第3話です。
前回は、比叡山から京都・滋賀県境の尾根に伸びる回峰行道に沿って、横高山、永井山と縦走し、静原キャンプ場でツェルト泊したところまで書きました。
前回の旅はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
旅のルートはコチラ⤵
旅の2日目、2018年12月30日の行程は、静原キャンプ場を6時30分に出発し、嵐山に17時に到着する予定です。
水墨画のようなトレイル
昨夜、鍋やモチを食べ、ホットウイスキーで温まったおかげか、この寒さにもかかわらず熟睡しました。
準備を整え、再び里に下ります。
山の向こうから朝日が昇ってきました。
ほの暗い雪景色の中、金色の光が差し込んできて、息を呑む美しさ。
今日もまた、どんな景色に出会えるのかワクワクしてくる。
静原神社を過ぎると、次第に山に入っていきます。
一つ一つが絵になるというか、美しい。
そして、鞍馬へと向かう山道に入ります。
この坂を登りきると、薬王坂(やっこうざか)という下りに差し掛かります。
その昔、最澄が鞍馬から比叡山に帰る途中、この坂で薬王如来が姿を現したので、その名がついたとのこと。
朝の薬王坂は人気もなく静寂そのもの。
白い雪と、黒々とした木々や土とのコントラスト。
まるで水墨画の世界の中にいるよう。
本当に素晴らしいトレイルでした。
薬王坂を下ると、そこには鞍馬川沿いの集落が広がっていました。
このすぐ先に、鞍馬寺が。
これもまた、水墨画の世界から抜け出してきたようです。
京都はやはり、雪が似合いますね。
夜泣峠と盗人谷
鞍馬に入ると、一時的ですが降雪と風が強くなってきました。
ここからは2kmほど鞍馬街道という広い道路を通り、その後再びトレイルに入ります。
まずは夜泣峠という、少しいわくありげな名前の峠へ。
踏切をわたり、トレイルに入っていきます。
ここから夜泣峠までは、短いですがかなりの急登が続きました。
そして、40分ほど登り続け、9時50分に夜泣峠に到着。
ちょっと荒れた雰囲気がある峠です。
案内板によれば、平安時代前期、惟喬親王(これたかしんのう)と乳母がここで一夜を明かした時、地蔵に願をかけて夜泣を止めたことからこの名がついたとのこと。
しかし、子供でなくても、ここで一夜を過ごせば泣いちゃうかもね。
夜泣峠からは、尾根歩きが続きます。
この尾根線は南西方向に伸びていて、下るにつれ景色が一変します。
こんな感じに。
なんだか季節が変わったかのよう。
高度と方角が変わったとはいえ、なんだか不思議な変化でした。
ここを下ると、一旦集落のある平地に出ますが、すぐにまた深い森に入ります。
今度は「盗人谷(ぬすっとだに)」という谷間です。
これもまた、夜泣峠に負けず劣らずいわくありげな名前ですね。
谷間は、台風による倒木で埋め尽くされんばかりでした。
ホントにすさまじい被害です。
しかし、こんな大規模な倒木にもかかわらず、人が通れるようにコースが整備されていて、このトレイルに関わる人たちの思いを強く感じました。
例えば、こんなふうに、倒木に持ち手や足場がつけられています。
ここには迂回路が設定されています。
このような整備は盗人谷だけではなく、京都一周トレイルの全域で見られました。
本当に感謝です。
盗人谷から出るには、かなり急な登りとなります。
このあたりで気付いたんだけど、京都のトレイルは急坂が多いように感じる。
距離はないんだけど、直登・直降なので、長い旅になるとけっこう疲れるかも。
そして高雄へ
盗人谷を出た後は、時おり集落のある平地にも出ますが、5kmほど京都北山の尾根を縦走します。
雪が切れると、京都の街が望めます。
確かに、京都をぐるりと一周の旅だなぁ。
この尾根道は、これまでのトレイルとは違い、明るく開けた斜面が多い。
天気が良ければ、京都の街を眺めながら歩けるいい道でしょう。
倒木はやはり、多かったですが。
いくつかの峠を越えると、開けた場所に出ました。
沢ノ池です。
朝の光は金色ですが、昼の光は銀色に見えますね。
到着したのは13時30分。昼下がりの一番明るい時間でした。
沢ノ池を過ぎると、あとは高尾に向かって下るだけ。
川沿いの林道を進みます。
途中、またまた大規模な倒木がありました。
本当に痛々しい。
林道を下ること約30分、14時25分に高尾に到着しました。
ここで、山地を縦走する旅は終わり。
ここからは、清滝川沿いの渓谷の旅が始まります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、高雄から清滝川沿いに南下し、終点の嵐山まで到着するところを書きますね。
次回の旅はコチラ⤵行ってみたい!と思った人は読んでみて⤵
ではまた。
(^ω^)ノ バイバイ
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比叡山から修行の道へ(京都一周トレイルの旅②)
(写真:静原キャンプ場でのツェルト泊)
みなさん、こんにちは。
(= ´ω `)ノ
京都一周トレイルの旅の第2話です。
前回は、蹴上を出発して大文字山に登り、哲学の道を通って比叡山に登ったところまで書きました。
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
旅のルートはコチラ⤵
今回は、ケーブル比叡駅から京都・滋賀県境に伸びる尾根沿いに下り、横高山・永井山を経て静原キャンプ場で野営するところまで書きますね。
雪の延暦寺
ケーブルカー比叡駅に到着したのが、予定より1時間以上遅れた12時15分。
このままでは、明るいうちに山を出れるか怪しい
おまけに雲が出て日差しも乏しくなり、風も冷たくなってきた。
駅舎の中に入り、少し悩みます。
しかし、「寒い」以上の悪天は予想されず、時間の遅れは取り返せる程度のものだったので、このまま先に進むことに決定。
ここから延暦寺の入口までは、車が通れる道路が通じています。
途中、スキー場の跡がありました。
さらに下ってゆき、道路脇の川を渡ると、延暦寺への参道が現れます。
薄く積もる雪が、神域の厳かさを引き立てているよう。
石段を下りたところに「浄土院」がありました。
ここに12年籠もって、最澄に仕える修業があるそうです。
これは「にない堂(西塔)」と呼ばれる建物です。
両側の建物をつなぐ渡り廊下をくぐります。
すると眼下に、ひときわ巨大なお堂が見えてきました。
転法輪堂(釈迦堂)です。
延暦寺最古の建物で、この地域の中心的な堂宇とのこと。
雪のせいか、人影もほとんどなく、静寂に満ちている。
白と黒のコントラストが神秘的でした。
修行の道をゆく
転法輪堂を後にすると、ここから先は人気のない山道に変わります。
この道は回峰行道といって、修行のためのみち。
尾根ぞいに南北に延び、京都と滋賀の県境となっています。
だいぶ雪が深くなってきました。
天候の悪化はないのですが、弱いスノーバンドが周期的に訪れ、その時は風と降雪が強くなる。
かなり急な斜面に差し掛かりました。
どうやら最初のピーク、横高山の山頂が近づいてきたようです。
かなり急です。
どうやら、これは登山道から外れているな・・・
まあ、山頂が明瞭なのでこのまま頑張ります。
で、山頂に到着。14時10分でした。
グズグズしてはいられない、先を急ぎましょう。
しかしここからは通う人も少ないのか、足跡もまばらとなり、積雪も深い。
ひざ下ぐらいまで埋もれる箇所も。
かなり急に。
( ;´Д`) よいしょ、よいしょっ・・・
さらにさらに急になる・・・
これも修行の道、がんばろう!
( ;´Д`) よいしょっ!
おそらく、ここも本来の登山道からは外れていたのかもしれません。
ただし、尾根沿いの道で、かつ正確な方位が得られていたし、引き返すことも可能だったので、そのまま直登。
そして、20分ほど登り続け、ようやく永井山の山頂に到着しました。
残念ながら、山頂は全く展望がありませんでした。
だいぶ足も冷えてきます。
修行者も寒かっただろうなぁ・・・。
鍋とモチの夜
永井山は京都一周トレイルの最高標高点(794m)なので、ここから先は下りです。
よーし、ちょっと飛ばすぞ。
雪のトンネルみたいで楽しい。
かと思えば、落ち込んでいくような急坂。
急な下りは、一歩ごと雪に大きく足が沈んで疲れます。
1時間ほどかかって、ようやく谷底に到着しました。
なかなかタフな道でした。
ちょっとは修行になったかな。
とうとう大原の里に出ました。時刻は15時55分。
そう、♬京都大原三千院~ の歌で有名な大原です。
キャンプ場のある静原へは、さらに正面の山を越えなければいけません。
(* ´ Д`) ハアハア・・・
この先が本日最後の峠、江文峠(えぶみとうげ)です。
そして、とうとう、静原キャンプ場に到着。
時間は17時20分。
写真では明るく見えますが、実際にはかなり薄暗くなっていました。
キャンプ場と言っても、この時期は管理の人が常駐しておらず、無人。
使用の際は、事前に申請を出すことになります。
さて、ツェルトを張ったら、お待ちかねの夕食!
ホットウイスキーを飲みながら・・・
まずは、鍋っ!
(* ´ ∀ `) うまいっ!
お次は、モチっ!
(*´Д`) うーん!
すっかりお腹もいっぱいになり、身体も温まります。
酔いも回って、いい気持ち。
このイイ感じが冷めないうちに、ツェルトに戻り、寝袋に潜り込みました。
零下の夜でしたが、ぐっすり眠りましたよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、京都一周トレイル二日目の旅を書きますね。
次回の旅はコチラ⤵
行ってみたい!と思ったら読んでみて⤵ではまた。
(* ´ω`*)ノ バイバイ
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冬の京都を縦走するよ(京都一周トレイルの旅➀)
みなさん、あけましておめでとうございます。
(= ^ω^)ノ
「ロングトレイルの旅」ブログも3年目に入りますが、引き続きよろしくお願いします。
さて、今回から数回は「関東ふれあいの道」から離れ、2018年の暮れに「京都一周トレイル」を旅した件について書きますね。
「京都一周トレイル」とは京都市街を取り囲むようにコース設定された縦走路です。
りっぱな公式ガイドマップも売ってる。
一冊500円です。
写真もいっぱい入っているので観光案内としても使えそう。
今回、冬休みの帰省を活用して、このトレイルを旅しようと考えました。
ルートはこの通り。
東山の蹴上(けあげ)から出発し、反時計回りに嵐山まで行く計画です。
初日は「大」の送り火で有名な大文字山を越え、街に降りて哲学の道へ。
その後は比叡山を登り、京都と滋賀の県境となる山を縦走。
そこから西に山を下り、静原キャンプ場でツェルト泊。
翌日は鞍馬、貴船とたどり、そこから山地部に入ります。
最後は清滝川(きよたきがわ)沿いに落合まで行き、渡月橋を渡り嵐山駅へ。
完全な一周ではないですが、南側は山がなくルートが設定されていません。
このルートで約65km(コース外の移動も含む).
ちなみに、本当のルートは蹴上から南に約10kmの伏見桃山から始まり、嵐山の南に約10kmの桂まで伸びているので、だいたい80kmほどあります。
ということで、2018年12月29日~30日にかけ旅しました。
京都には雪がよく似あう
まだほの暗い6時45分、蹴上駅を出発。
昨日から強い寒波が日本全域を覆っていて、京都でも山間部は結構な積雪。市街地でもうっすらと積もっています。
((((;´Д`))) うー、寒い!
まずは、「ねじりマンボ」と呼ばれるレンガのトンネルをくぐり、ルートに入ります。
確かに、レンガがねじれるように積まれていて、めまいがしそう。
このトンネルは明治時代に作られたものらしいです。
少し歩くと、日向大神宮という神社に出ます。
ここが大文字山への登山口。
雪の白さに鳥居の赤が鮮やか。やはり京都には雪が似合いますね。
山道に入ると、倒木の多さが目につきます。
どうやら、最大瞬間風速58.1mを記録し、今世紀最強とされる台風21号(2018.9.4)の影響らしい。
とはいえ、山道は朝日を浴びて惚れ惚れするほどの美しさ。
薄い白雪と常緑樹の緑が作るトンネルに青空。
木々の間からは、時おり京都の街が望めます。
8時40分に大文字山山頂に到着。
( ^Д^)ノ 京都市街が一望!
雪の山頂からの京都も、これもまたよく似合う!
空気は澄んでいて、大阪方面までハッキリです。
あべのハルカスも見えましたよ。
鹿ケ谷から哲学の道へ
大文字山からは、平家打倒の陰謀が練られた「鹿ケ谷」へと下ります。
ここは北斜面のため、日差しもなく、雪も深い。
倒木もすごいです。
もとの道がわからないくらい。
結構な急斜面を下ります。
谷底へと下る中腹に、「俊寛僧都(しゅんかんそうず)忠誠の碑」という石碑が建っていました。
鹿ケ谷に山荘を持っており、そこで平家打倒の密談を行っていたところ、密告されてしまい、鬼界が島(鹿児島県)へと流されてしまう。
さらには一緒に流された2人は許されて京に戻れたのに、俊寛は一人許されず、絶望して自害してしまったのでした。
さらに下っていくと、街に出ます。
振り返ると、鹿ケ谷の森がすぐそこに望めます。
京都の魅力の一つは、このように街と山が近いところでしよう。
たった15分ほどで、都会から深山風のトレイルを歩くことができる。
これはなかなか、他の都市にはない魅力だと思います。
ほどなく、「哲学の道」に出ました。
「哲学の道」とは、京都大学の哲学者である西田幾多郎らがよく散策した、琵琶湖からの水路に沿った約1.5kmの小道で、「日本の道100選」にも選ばれている名所です。
この日は人通りも少なく、溶けた雪が敷石に輝いて情緒がありました。
比叡山を目指す山道
哲学の道を経て、しばらく市街地を歩いた後、再び山道へ。
時間は9時50分でした。
まずは標高差約700mを登り、ケーブル比叡駅を目指します。
登るにつれて、再び雪が多くなってきます。
古くからの信仰の山らしく、途中いくつもの祠がありました。
ちなみにこれは、カメラが斜めなのではなく、石像が傾いています。
中腹あたりには、鳥居が建てられていました。
ここから先は、比叡へと続く奥深い山道です。
凍えるような沢を越え、
再び登り返し、街を見下ろす尾根を渡っていきます。
ここにも、台風の被害が。
「森の大虐殺」と言ってもいいような大規模な倒木です。
改めて台風の被害の大きさを実感しました。
ここから先は、山頂前の急登が続きます。
白い息を吐きながら登っていくと、前方に建物が見えてきました。
ようやくケーブルカー比叡駅に到着。12時15分でした。
ちなみに山頂はケーブルカー駅より少し離れたところになります。
京都市街の展望。
少し雲が出てきましたね。
風も吹き始め、体感温度も下がってきます。
計画では11時前に到着する予定だったのですが、写真を撮ったりしているうちに1時間以上も遅れてしまいました。
このままでは、山を下りる前に日没になりそう。
ここから先は、あまり人の立ち入らないような山地となります。
引き返すならこの地点しかありませんが、さて、どうしようか。
この続きは、次回に。
次回のお話はコチラ⤵
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
(^ω^)ノ バイバイ
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時の流れと鉄道ぶんか村
みなさん、こんにちは。
(*´Д`)ノ
前回は、西松井田駅から出発し、横川駅までの旅の後半部分を書きました。
前回の記事はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
この旅は「碓氷峠鉄道文化むら」が大きな見どころでした。
なので、今回はそこだけを特集してご紹介しますね。
碓氷峠鉄道文化むらは、横川駅のすぐそばにある鉄道テーマパークです。
かつて横川駅は、碓氷峠を越えて関東と信越を結ぶ交通の要衝でした。
しかし、北陸新幹線の開通に伴って軽井沢―横川の区間が廃止されたために、終着駅になってしまったのです。
鉄道文化村では、碓氷峠越えに活躍した列車などが展示されていて、往時の繁栄をしのぶことができます。
鉄道ぶんか村に入る!
ぶんか村の外から、すでに居並ぶ列車たちが姿を見せています。
鉄道マニアではないけれど、乗り物が並んでいると男の子の血がさわぎます。
はやる気持ちを押さえ、ゲートに急ぐ。
ゲートの脇には、こんな標示がありました。
「アプトの道 ウォーキングトレイル」
どうやら、廃線になった線路跡をたどるトレイルらしい。
いつか行ってみよう!
ここがゲートです。
ゲートをくぐると、子供の遊具の向こうに、格納庫らしい建物がみえる。
どうやらあそこが、施設の中心部らしい。
格納庫の前には、かつて碓氷峠を越えて走っていた「あさま」が展示されていて、その前にアプト式線路が引かれています。
線路の真ん中に歯状のギザギザがついていて、これが列車の下にある歯車とかみ合い、急登を登ることができます。
碓氷峠は勾配が急なので、このアプト式が採用されていたのでした。
格納庫の中へ
格納庫の中には、機関車が置いてありました。
これが、客車を引いて碓氷峠を登ったのです。
この装飾のない外見、いかにも「力持ち」って感じ。
運転席も、無骨です。
冬はきっと、寒かっただろうなぁ。
いろんな標識やマークが置いてありました。
どれも、なかなか味がありますね。
個人的には「はくたか」のヘタウマ感が好き。
これも面白かった。
国鉄からJRに変わった一年目の標識です。
何とも憎めないこの顔!
このマークを見れば、誰もが旅に出たくなると思う。
デザインも秀逸だし、車名の「日本海」もいいなぁ・・・。
野外展示も楽しい!
お次はお待ちかねの野外展示エリアです。
まずはSLが、ドーン!
男の子は誰しも、鉄の塊に憧れるものです。
やっぱりこの重々しさ、迷路のような配管、複雑な部品類。
いかにも「機械」ってところが、何とも言えない!
重々しさでは、除雪車も負けていません。
まるで装甲車の風格ですね。
左側の列車は、最後尾なんでしょうか。
デッキがついてます。
何でこういうデッキを今ではつけないんだろう。
これがあるとないでは、旅情が全く違うと思うんだけど。
こういうのも、すっかりなくなってしまったなぁ。
こんな列車に乗って、ビールを飲みながら旅してみたい。
子供がバタバタ走り回るのを聞きながら、
隣に座ったおじさんと、つまみを交換したりして。
そういえば、昔のフェリーも3等は座敷形式だったなぁ。
こんなことを考えながら、何度も列車の周りや内部をウロウロしているうちに、帰る時間になってしまいました。
その時、本当に驚きだったのですが、もう15年以上も会っていない友人と、この場所で出会ったのです。
彼はなんと、お孫さんを連れていました。
ぼくより10歳近く年上なので、決して不思議ではないのですが、流れた年月のギャップに戸惑いを隠せません。
それは向こうも同じだったようです。
「お互い歳を取ったねぇ~」と、再会を喜び合いました。
人づきあいが悪く、とんがっていた彼は、優しいおじいちゃんとなり、
仕事人間だったぼくは、関東を一周している。
人間って、わからないものですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回はいよいよ妙義を越える旅です。
ではまた。
(= ´ ω `)ノ バイバイ
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関所・鉄道・釜めし 横川を楽しむ
(写真:横川名物「峠の釜めし」)
みなさん、こんにちは。
(^ω^)ノ
西松井田から横川までの旅の続きです。
前回は、春の花咲く里を通り、千ヶ滝でお昼ご飯にしたところまで書きました。
前回の旅はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
ルートのおさらいです。
今回の旅は、ちょっと短めですが、西松井田駅を出発し、土塩という部落から「小根山森林公園へのみち」に入り、森林公園を通って横川駅で終了。
2018年3月4日の日帰り旅です。
寂しい谷間を行く
お昼ごはんも済ませたので、再び出発。
ここまで春の気配たっぷりの道だったので、この先も期待です。
ウキウキしながら先へ。
まずは、明るい林の中を通ります。
しかし、次第に寂しい谷間になってきました。
一面の枯野が広がっています。
すごく静か。
あまりに静かなので、足音を立ててはいけないような気が・・・
いつしか春の花々も姿を消してしまいました。
道はしっかりした舗装道がついているので迷う心配はありません。
しかし、人工物があるのに人の気配がしないので、かえって気味が悪いです。
隠れ里に出たような感じ。
ふれあいの道の道標を見つけましたが、まるで十字架のように見えました。
森林公園から横川へ
この寂しい谷間には、九十九川(つくもがわ)という小川が流れています。
その表示が何となく可愛らしかった。
なんだかカタカナの「カトカリ」に見える。
この川を渡ると谷を抜け、再び道は登りとなります。
20分ほど歩くと、森林公園の入り口に出ました。
しばらくは荒れた道をたどりますが、そのうち計画的に植樹された森に変わります。
この一帯のケヤキは、101年前に植えられたものらしい。
でも、幹も細く、たよりない感じです。
100歳でも、まだ若木なのかなぁ。
木は、人間とは違う時間の流れに生きてますね。
こんな感じで、いろいろな種類の樹木がエリアごとに植えられています。
ゆったりとした感じの公園で、散歩にはちょうどいい場所でした。
ここが公園の正面入り口です。
ここで公園を後にして、横川へと山を下ります。
途中、上信越自動車道の下をくぐりました。
すぐ上を巨大な鉄骨が横切っていて、ちょっと頭がムズムズ。
ここからは沢沿いのトレイルへ。
もう町が近いはずですが、意外なほど森の中です。
変な木を見つけました。
夜になると、トコトコ歩き出しそう。
やがて、山道を抜け、横川の町に到着しました。
関所・鉄道・釜めし
横川は、昭和の雰囲気を残した街並みが残っています。
ぼくはこういった街並みが大好きです。
たばこ屋さんの、少し突き出た販売口が懐かしい!
横川は関東と信越を結ぶ交通の要衝なので、昔から関所が置かれていました。
これも興味があるので、立ち寄ってみます。
その途中、道の真ん中に人影、いや、サル影が!
「こんな町中に」と驚き、見つめていたら目が合ってしまいました。
「あぁん?」
なに見とるんじゃい、と言わんばかりの反応。
そして、威圧するかのようにゆっくり近づいてくる。
(;´・ω・) うわぁ・・・
まずい、やっちまった。
しかし、ぼくも人間サマの端くれ、ここで引き下がるわけにはいきません。
すると突然、道の脇から仲間がわらわらと姿を現しました。
しかもこいつら、やる気満々。
かなりの勢いで距離を詰めてきます。
やられる!
(漢字では、「殺られる」)
( ;´Д`) すいませんでしたっ!
エテ公ごときに追い散らされて複雑な気持ちでしたが、何とか関所跡に到着。
この階段の上が関所になっている。
関所の門です。
これが、中山道を京と江戸に隔てていた門です。
昔の人は、どんな気持ちでここをくぐったのかな。
希望に燃える人もあれば、涙を流した人もいたでしょう。
追手の目をかすめ、忍んで通った人もいたのかな。
と、歴史に思いをはせていると、石垣の脇に・・・
エテ公、いや、おサルさんが座っておられます。
失礼にならないよう、早々に立ち去りました。
;つД`) くくっ・・・
関所を見た後は、楽しみにしていた鉄道文化村へと向かいます。
おおっ、列車がたくさん並んでいるぞ!
おっさんですが男の子なので、乗り物を見ると興奮してしまいます。
鉄道文化村の話はここでは収まらないので、別に書きますね。
そして横川駅に到着。
ここの名物は、なんといっても「峠の釜めし」!
そして完食。
ごちそうさまでした。
(*´ω`*) ウマカッタ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、今回書ききれなかった碓氷鉄道文化村のことを書きますね。
ではまた。
(^ω^)ノ バイバイ
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春の訪れ 妙義のふもとで
(写真:妙義山と春の訪れ)
みなさん、こんにちは。
(*´ω`*)ノ
群馬の旅も、いよいよ終わりに近づいてきました。
上毛三山のうち、赤城、榛名を越え、ついに妙義のふもとへ到達。
前回の旅はコチラ⤵trailtravel8hureai.hatenablog.jp
全体像はこんな感じです。
細部のルートはこのとおり。
西松井田駅からは連結区間を挟み、土塩という部落から「小根山森林公園へのみち」にはいります。
その後、千ヶ滝、小根山森林公園を経て横川駅へ。
短いですが、今回はここで終了。
その後、碓氷峠鉄道文化むらに行くつもりです。
ということで、2018年3月4日に旅しました。
里にも春がきた
今日のスタート地点、西松井田駅です。
すぐそばに、妙義山の荒々しい山塊が。
この線路の先に今日の目的地、横川駅があります。
横川は、群馬の高崎から新潟を結ぶ信越本線の駅で、碓氷峠を越えるための重要な地点にある駅でした。
しかし、北陸新幹線の開通に伴い、信越本線は軽井沢―横川の間が廃止になります。
横川駅は、行き止まりの終着駅となってしまいました。
今では、交通の要衝として栄えた当時をしのび、駅の近くに博物館(碓氷峠鉄道文化むら)が建てられています。
「小根山森林公園へのみち」までは連結区間なのでルート設定がされていません。
なので、地図を見てルートの起点、土塩の部落まで移動します。
10時すぎに出発。
今日もいい天気。
風は少し肌寒いけど、日差しは暖かくて、冬の終わりを感じます。
線路沿いを離れ、山のほうに歩いていくと、小さな集落がありました。
そろそろ、畑仕事がはじまる季節です。
至る所で、ロウバイの花が咲いていました。
ピンク色のロウバイも。
冬には見られなかった色彩です。
春の訪れを感じますね。
いたる所で、たくさんの花が。
道ばたの道祖神も、冬の終わりを喜んでいるように見えました。
(*´ω`*) 春だねぇ・・・
1時間半ほど歩くと、「小根山森林公園へのみち」の起点、土塩の部落に到着。
これはまた、子供のころにあった売店そのまま。
「塩」の看板、あったなぁ。
「お仙」は幸が薄い?
ここからは、ふれあいの道に入ります。
まずは、千ヶ滝を目指して歩きだそう。
ちょうど、昼時には到着できるでしょう。
里を後にして、山の中に入っていきます。
道は良好な舗装道で、歩きやすい。
20分ほど歩くと、道路わきに看板を見つけました。
千ヶ滝への入り口です。
この時12時05分。滝へ降りて昼ごはんにしましょう。
滝には人影はなく、静かでした。
ただ、滝つぼに落ちる水の音だけが、森の中に響いています。
滝の後ろにある石仏は、ここに伝わる伝説にちなむのかも。
むかし、松井田城が落城する際に、城主の娘の「お仙」は、もはや逃げられないことを知り、この滝に身を投げたそうです。
そういえば、千葉の「おせんころがし」も、「お仙」にまつわる悲しい伝説があったなぁ。
「おせんころがし」の記事はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
なんだか全国的に幸が薄いぞ「お仙」・・・。
ともあれ、お昼ですので、ご飯にします。
ラーメンは、どこで食べてもおいしい。
(* ´ Д`) ウマー
滝のそばに、きれいな福寿草が咲いていました。
そしてそのそばには、こんな立札が。
「老人の夢をかなえるため、持ち去らないで下さい」
大げさともとれる文言ですが、ここまで言われて、持ち去る者は、人の顔をした鬼にちがいない。
もちろん、眺めるだけで立ち去りましたよ!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は横川駅までの旅の続きを書きますね。
ではまた。
(^ω^)ノ
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「鋸山で遭難が急増?」 低山を登るには
(写真:「東京湾を望むみち」鋸山山頂)
どうぞ読者に!⤵
みなさん、こんにちは。
今回は、遭難関係の記事です。
前回の遭難関係の記事は、多くの人に読んでいただいたようですが、今回も多くの人にとって参考になればと思っています。
前回の記事はコチラ⤵
「千葉・鋸山(のこぎりやま)で遭難が急増 標高の低い山で相次ぐ理由は」
という特集が、NHKニュース「首都圏ネットワーク」で放送されました。(2018年11月19日放送)
鋸山は関東ふれあいの道のルートにも入っているし、このブログでも紹介しているので、これはちょっと気になる。
鋸山の旅はコチラ⤵
trailtravel8hureai.hatenablog.jp
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鋸山は千葉県富津市と鋸南町の間に位置し、標高329.4mと低山ながら、東京湾を一望できるパノラマを楽しむことができる人気の山です。
・ 東京からのアクセスも比較的よく、ロープウェイで山頂近くまで行ける。
・ 山全体が日本寺の境内で、座高31mの大仏や、百尺観音と見どころいっぱい。
・ 古くからの石切り場で、採石あとの断崖や奇観がたくさん。
・ 「地獄のぞき」という100mの絶壁の上に立つことができる。
・ 登山後は、ふもとの金谷漁港でおいしい海産物をショッピング。
とまあ、これでもかと魅力の詰まった山です。
しかし、この山で遭難が急増しているらしい。
なぜ遭難?
遭難の理由は、大きく二つあるようでした。
➀ 登山道を外れ迷い込む
② その結果、険しい場所で滑落
さらにこのスパイラルを助長するのが
→ 暗くなり焦る。さらに迷う。
→ 暗くなり見えず、踏み外す。
(そもそもライトを持っていないことも!)
ニュース映像で注意喚起の看板が映りましたが、そこには「日没時間を考慮して入山してください」と書いてありました。
道迷い→暗くなる→滑落
もしくは
暗くなる→道迷い→滑落
うーん、この負の連鎖。
でもなぜ、鋸山のような人の多い低山で、この負の連鎖が生じるのでしょう。
むしろ低山は危ない
それでは、低い山(明確な定義はないけど)は、高山よりも安全でしょうか?
確かに、低山では高山病や、落雷の直撃、天候の急変などは少ない。
樹林帯も多くて雨風を凌げる、食べものや水もある。
人里との距離も近いから、何かあっても安心(?)。
こんなところでしょうか。
確かに、全てその通り。
特に、樹林帯の存在や人里からの近さは、登山者にとっては安心材料です。
山から街が見えると、もう安心感はMAX!
ただし、それらの利点が、じつは低山の危険を生んでいるのです。
鋸山の遭難原因はまず「迷い込む」ことにありますが、低山こそ道迷いの危険が高い。
道迷いという点では、むしろ低山や里山は危ないのです。
低山はなぜ迷う?
その理由は、低山の利点と表裏一体です。
理由その➀
人里から比較的近いので、いろんな人が足を踏み入れる。
山登り、山菜取り、木の伐採、狩猟、渓流釣り、などなど。
それらの人たちは、必ずしも決められた登山道を通るわけではありません。
すると、踏み跡ができ、それが道に見える。これが危険!
鋸山は採石場でしたから、石切り人夫が歩いた後が網の目のように残っている。
ここを登山道と間違え、入り込んでしまうのです。
NHKのニュースでも、まずこの点に触れていました。
理由その②
低山はだいたい深い樹林帯に覆われています。
これが視界を遮る。
森林限界を超えた高山なら、天気が良ければ遠くまで見通せます。
今進んでいる方向の先がどうなっているか知ることができます。
しかし、深い森の中を進んでいると、見通しが効かないので、突然道がなくなって慌てることがある。
この時、道が発見できなければ、もと来た道を戻ればいいのですが。
動揺してしまうと、道でもないところを道と見誤り、そちらに進んでしまうことがある。
もっと悪いのは、突然足を踏み外したり、崖から落ちたりするのです。
理由その③
樹林帯ではたくさん木が倒れています。
木が倒れ、行く手を遮っていると、そこは道でないと錯覚します。
低山はたいてい無名の山が多いですから、人気のある高山と違って、指示標識も少ないし、道も荒れていることが多い。
木が倒れている登山道よりも、すっきりとした感じの樹間を道と間違え進んでしまうことがある。
以前記事にも書いた五頭連峰での親子の遭難は、まさにそれがきっかけでした。
この場所では、雪のある右側に進んでしまいますよね。
しかし本当の登山道は、倒木や樹木にさえぎられた左側のほうなのです。
低山を登るには
ということで、道迷いに関しては、低山は決して油断はできません。
じゃあ、どうすればいいの、という話です。
やはり、正しい道を進むということにつきます。
従って、必ず地図とコンパスは持っておくべきです。
紙の地図でなくても構いません。
ただし、スマホに最初から入っているような地図アプリは、山の道はもちろん、等高線も表示されませんから、ほとんど役に立ちません。
「ジオグラフィカ」や「ヤマレコMAP」などの無料アプリをいれておきましょう。
気をつけなければならないのは、地図アプリやスマホのコンパスは電池が切れれば終了という点です。
携帯電話は、遭難の際の命綱ですから、電池は絶対に切らせてはいけません。
必ず予備バッテリーを準備し、大事に使いましょう。
そして最も大事なのは、「胸騒ぎを無視しない」ということです。
正しい道でないところは、必ずおかしなところが連続します。
やけに急だったり、
木の茂りが尋常でなかったり、
足跡が見当たらないなど。
そのようなおかしな点がいくつも見つかると、必ず不安になって胸騒ぎを感じます。
それは正しい感覚です。
その時は、自分の感覚を信じて、すぐに既知点まで引き返しましょう!
ということで、この記事が少しでも、安全に低山を楽しむ役に立てば・・・。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた。
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